戸部杉山神社|横浜市西区中央の神社

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戸部杉山神社|白鳳3年創建の伝承、戸部村の鎮守

戸部杉山神社の概要

戸部杉山神社は、横浜市西区中央にある杉山神社です。戸部杉山神社は、白鳳3年(663年或いは675年)の創建と伝えられるといい、江戸時代には戸部村(小名:野毛、西、石崎、羽澤、海、洲乾湊)の鎮守社だったといいます。

戸部杉山神社
戸部杉山神社の概要
社号 杉山神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 天神社、稲荷社、山王社、社宮祠社、厳島社、浅間社、三峯社
住所 横浜市西区中央1-13-1
祭日 -
備考 -



戸部杉山神社の由緒

戸部杉山神社は、白鳳3年(663年或いは675年)の創建と伝えられるといい、江戸時代には戸部村(小名:野毛、西、石崎、羽澤、海、洲乾湊)の鎮守社だったといいます。

「横浜西区史」による戸部杉山神社の由緒

杉山神社
中央一丁目一三-一。宮司関準司朗。祭神大己貴命。創建は白鳳三年(六五二)と伝える。旧戸部村鎮守。江戸時代別当願成寺。境内社には天神社(旧位置天神山)、稲荷社(旧稲荷台)、山王社(旧日枝社、西戸部一丁目山王山)、社宮祠社(おしゃもじさま、旧くらやみ坂)、厳島社(弁天さま、旧石崎町)、浅間社(旧西戸部)、三峯社(旧藤棚)、聖徳太子殿がある。社宝無銘太刀二口、文岱画六曲一双屏風。社殿は権現造(鉄筋コンクリート造)。境内千八坪。例祭日八月十九日・二十日・二十一日。関東大震災で焼失したのぼり、山車、神輿は非常に大きなものであったという。(「横浜西区史」より)

新編武蔵風土記稿による戸部杉山神社の由緒

(戸部村)杉山明神社
除地、五畝十二歩、西の方にあり、小社南向、上屋二間に三間、拝殿二間に四間、本地や櫛を神體とす、村の鎮守、例祭九月廿日、村内願成寺
○社宮司社
除地二畝餘
稲荷社
除地少許
第六天社
除地、二畝、以上三社も同じ邊にあり、皆願成寺
(一社省略)
第六天社
除地、少許、村内東光寺持、下同じ
○山王社
除地、少許
(一社省略)
○天神社
除地、少許、東北の方二あり、延命寺持
稲荷社
除地、少許、南の方にあり、太田村普門院
姥神社
除地、少許、野毛の内にて海邊にあり、本地佛十一面観音、此像は洲乾湊姥嶋の邊より出現せしと云、大聖院持 (新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による戸部杉山神社の由緒

杉山神社
白鳳三年(六七五)三月当戸部地方開拓の祖神として出雲大社の御分霊を勧請したもので、歴代の国府地頭代官の尊信厚く、幕府からは御朱印を与えられ、祭りも盛んで幟の如きは幅一間丈一〇問に及ぶもので世人これを「戸部の馬鹿幟」といった。社頭にはもと一基の古墳があり、往昔大祭の日神輿の渡御中この古墳の前で動かなくなったので、神慮を畏み墳丘中に埋納し、神輿塚と称し神社と共に崇敬した。爾来当社は宮神輿を有しない。現在の社殿は大正十二年の震災で焼失し仮宮であったが、昭和三十一年八月当時鉄筋コンクリート造のさきがけとして竣功したもので、同年の神奈川県建築コンクール第一部に入賞している。(神奈川県神社誌より)


戸部杉山神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿