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猫の足あと

龍祥山勝國寺。横浜市南区蒔田町にある曹洞宗寺院

龍祥山勝國寺の概要

曹洞宗寺院の勝國寺は、龍祥山と号します。龍祥山勝國寺は、吉良左京大夫政忠(文亀2年卒、法名勝國寺殿照岳道旭大居士)が開基となり創建、心源院七世天永琳達を開山とするといいます。

勝國寺
勝國寺の概要
山号 龍祥山
院号 -
寺号 勝國寺
住所 横浜市南区蒔田町932
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



龍祥山勝國寺の縁起

龍祥山勝國寺は、吉良左京大夫政忠(文亀2年卒、法名勝國寺殿照岳道旭大居士)が開基となり創建、心源院七世天永琳達を開山とするといいます。

新編武蔵風土記稿による龍祥山勝國寺の縁起

(蒔田村)
勝國寺
除地、三段、巽の方にあり、禅宗曹洞派、多磨郡下恩方村心源院末、龍祥山と號す、文明十一年吉良左京大夫政忠(蒔田家譜に政正に作)が開基なり、此人文亀二年六月十七日卒す、境内に墳墓あり、法名勝國寺殿照岳道旭大居士、或は洞春院殿とも稱せりと云、荏原郡世田谷村豪徳寺にも此人の墳墓あり、其碑面には洞春院殿と刻す、又云政忠後年名を勝國と改む、よりてこれを寺號とせしと云、されど家譜等には所見なし、開山は本寺七世天永琳達なり、元和二年八月十一日寂すと云、當寺草創と年代齟齬するに似たれど、此宗門のならひ寺格賤きときは稱することを得ず、此寺若くは當寺格賤かりしに、胎天廣説と云住僧たりし時、寺格進みしかば琳達を請て開山とせしならん、初の開山は詳ならず、過去帳に當寺前住一秀無關禅室、天文十年九月十日とあるを古しとす、本尊華嚴釋迦を安置し、又傍に地蔵一軀を置、政忠の孫吉良左兵衛佐賴康の納る所と云。
鐘樓。門を入て左にあり、元禄四年鑄造の鐘を掛。
白山社。是も左の方にあり、小祠。
吉良政忠墓。本堂より西の山上にあり、五輪の石塔にして高二尺五寸許、正面祖師西来の四字を刻し、臺石に政忠塔、背面に照岳道旭大居士、文亀二年六月十七日と彫る、政治忠は足利左馬頭義氏九代の孫にて、吉良左京大夫賴高の子なり、事蹟詳ならず、此人其伯母弘徳院菩提の爲に、荏原郡世田ヶ谷村に一寺を建立す、今の豪徳寺是なり、其境内にはも政忠の墓あり、遥拝のために建しにや、猶世田ヶ谷村豪徳寺の條幷見るべし、此餘これに等しき五厘の石塔五基あれど、何も文字なければ何人の墳墓なるこを知ず、想ふに政忠の孫左兵衛佐賴康も當寺に葬りしといへば、其墓五基の内にあることは知べし。
傘松。境内山中にあり、開基政忠の植し樹なりと云、圍八尺許、其杉傘に似たるをもて名づく、又門外の岳上に稲荷松と云あり、昔此樹下に稲荷社ありしが今は廢せり。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による龍祥山勝國寺の縁起

勝國寺
位置及寺格
勝國寺は、龍祥山と號し、中區蒔田町字會下九百三十二番地にある。境内は千八百九十六坪。官有地。東京府南多摩郡恩方村下恩方心源院の末寺で、二等法地三十級である。
沿革
文明十一年、吉良左京大夫政忠が先考賴高追福の爲めに開基した所と云ふ。政忠は文龜二年六月十七日卒して、當寺に葬り、法名を勝國寺殿照岳道旭大居士と諡つた。父の追福の爲め建てた寺であれば、父の法名を取つて名づくべきに、政忠自身の法名を取ることは理由無いと思ふ。然るに世田ヶ谷私記に「蒔田村勝國寺住持の曰、開基の節は靈應寺と云ふ。中興開基は吉良左京大夫政忠朝臣にして、勝國寺と改給ふと云。」とあるを見れば、政忠が父の追福の爲めに建てたと云ふことは疑はしくなつてくる。思ふに此寺、關東公方から蒔田を吉良氏に與へた後の中興で、卽ち成高が父政忠の爲めに創立したと解するが妥當であると思ふ。吉良氏の事、詳に政治編第一に述べてある。政忠の墳墓は當寺の後丘にあつて、五輪塔である。永祿三年十二月二十六日、政忠の孫、左兵衛佐賴康が其養子氏朝と連署を以て、當寺外六寺に宛てゝ安堵状を出した。此文書は今尙荏原郡碑衾村大字衾の東岡寺に傳はつてゐる。賴康は永祿四年十二月五日卒去し、當寺先塋に葬つた。法名を勝光院脫山淨森居士と云つた。元祿四年、梵鐘を鑄造し、其後廔〻無住となり、且つ三囘の囘祿の厄を重ねたので、寺運大に衰へたが、開港後、檀徒の增加を得たので、明治十六年、桁行六間半、梁間六間半の本堂の再建を遂げた。大正十二年九月一日の大震災に、本堂・總門、竝に境内祠堂 天滿宮・白山權現合祀。等破壊顚倒の慘害を被つたが、直後、庫裡を假造して、假本堂に充て、以て今日に及んで居る。
本尊
本尊は華嚴釋迦牟尼如來・脇侍文珠菩薩・普賢菩薩である。武藏風土記稿には、吉良賴康の納めた地藏尊を安置すと載せてあるが、今は失つてない。
堂宇
現今の本堂は、庫裡兼帶で、桁行九間半、梁間六間の草葺である。元の本堂は桁行八間、梁間八間、四注造の草葺であつたが、震災に倒潰した。
境内祠堂
天紳・御嶽相殿の祠堂があつたが、地震に倒潰して、未だ復興を見ない。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


龍祥山勝國寺所蔵の文化財

  • 吉良家の供養塔

吉良氏の館跡と勝国寺

成美学園の丘一帯は、小田原北条時代、北条氏と姻戚であった吉良氏数代の館跡です。吉良氏在住の当時は、地名によって蒔田御所といわれました。
吉良氏は、足利の一族三河国(愛知県)吉良を発祥とし、応永年間(1394~1427)に武蔵世田谷(東京都)に本拠を置きました。吉良政忠、あるいは成高の時に蒔田を領有するようになりました。北条氏康の娘高林院が、吉良氏朝に嫁ぐときに、北条幻庵があたえた婦道の心得書は、「幻庵覚書」として有名です。
吉良氏の菩提寺の一つは、館跡に近い勝国寺です。政忠の菩提寺としてその子成高の建立といわれます。墓地に政忠の供養塔が残されています。(横浜国際観光協会・横浜市教育委員会文化財課掲示より)

龍祥山勝國寺の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿 佛寺編」



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