法隆寺。横浜市港北区菊名にある日蓮宗寺院

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蓮福山法隆寺。横浜市港北区菊名にある日蓮宗寺院

法隆寺の概要

日蓮宗寺院の法隆寺は、蓮福山と号します。法隆寺は、日出上人(天文19年1550年寂)が開山となり創建したといいます。

法隆寺
法隆寺の概要
山号 蓮福山
院号 -
寺号 法隆寺
住所 横浜市港北区菊名4-13-41
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



法隆寺の縁起

法隆寺は、小湊誕生寺11世日出上人(天文19年1550年寂)が開山となり創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による法隆寺の縁起

(菊名村)法隆寺
村の東にあり、蓮福山と號す日蓮宗房州長狭郡小湊誕生寺の末、開山日出天文十九年七月六日示寂。客殿西南に向ふ六間に五間、本尊三寳を安ず。
三十番神堂。九尺に二間境内に入左にあり。 (新編武蔵風土記稿より)


「横浜市史稿」による法隆寺の縁起

法隆寺
位置
法隆寺は、蓮福山と號し、神奈川區菊名町三百六十七番地に在る。境内は一段九畝四步。官有地。安房國小湊誕生寺末で、寺格は平僧七等である。
沿革
創立の年代詳かでない。開山は小湊誕生寺第十一世日出上人と云ひ、天文十九年七月六日示寂した。口碑に據れば、元祿の頃、火災に罹り堂宇・寶什等悉く烏有に歸し、第十世仙壽院日勇、之を再建した。故に日勇を以て當寺中興開山としてある。下つて文化年間、第二十二世貞心院日彰の代に、荒廢してゐた堂宇の再建を行うた。第三十五世日誠の代、大正十二年九月一日の震災に、本堂は倒壊し、翌十三年再建を遂げた。
本尊
本尊は一塔兩尊・四菩薩・四天王・不動・愛染・文珠・普賢・鬼子母神・十羅刹女・三十番神・日蓮大菩薩等の木像である。
堂宇
現今の堂宇は、本堂桁行四間、梁間四間、亞沿葺、四注造。大正十二年九月一日震再災に倒壊し、同十三年、第三十五世日誠が再建した。庫裡桁行四間、梁間六間半、草葺。廊下桁行一間、梁間五間、亞沿葺。等である。 (「横浜市史稿」より)

法隆寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿」