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師岡熊野神社|横浜市港北区師岡町の神社

師岡熊野神社の概要

師岡熊野神社は、横浜市港北区師岡町にある神社です。師岡熊野神社は、神亀元甲子年(724)に全寿仙人が創建、仁和元年には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が当地へ下向、「関東随一大霊験所熊野宮」の勅額を賜り、天皇の勅願所となっていたといいます。明治3年に県社に列格したものの、氏子の陳情により明治6年郷社に列格したといいます。

師岡熊野神社
師岡熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊邪那美尊・事解之男命・速玉之男命
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市港北区師岡町1137
祭日 8月24日
備考 -



師岡熊野神社の由緒

師岡熊野神社は、神亀元甲子年(724)に全寿仙人が創建、仁和元年には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が当地へ下向、「関東随一大霊験所熊野宮」の勅額を賜り、天皇の勅願所となっていたといいます。明治3年に県社に列格したものの、氏子の陳情により明治6年郷社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による師岡熊野神社の由緒

(古師岡村・新師岡村)
熊野三社
字寺家谷と云所にあり、大門を入て坂あり凡三丁ばかりのほり放生池あり、其形假名のいの字に似たるを以ていの字池とも云、ここに鳥居を建つ前に石階六級を設け夫より七十七級を經また七級をすぎて、則拝殿の前に至る廣五間半に二間半、夫より少しく隔てて本社あり、二間四方の宮作りにて五間四方の上屋を設く、いかにも物舊たる神社なり、關東随一靈験所熊野三社権現と云、貞治三年五月記せしと云縁起あり、其文を閲るに其説に至りては甚いぶかしきことのみ多し、今暫く其要をつまみて左に記せり、抑當社は聖武天皇の御宇神亀元年ある老僧いづくより来りけん當所の梛樹のうろにすみ、火食せずして偏に法華經をのみ轉讀せり名をは全壽と云、斯して年月を送りけるにある暁、暫く眠る夢の中に熊野證誠権現の告によりて、本地彌陀の像毘首羯摩が造るものを、大和國春日明神へ参籠して感得し當所に負かへり、小祠を造り安置し専ら信心をこらせしと、今の本地の像是なり長二尺六寸許、此全壽後には和州に住て金峯山に跡を隠し遂には仙し去れりと云、その後光孝天皇の御宇仁和元年七月天皇御悩のとき靈験ありしにより、六條の中将有房を勅使として同十二月宣旨を下し、神社御造營ありて粧嚴頗る美を盡せしと云、宣旨の文なりとて記せしものあり其文尤疑ふべし、遥の後源平合戦の頃は廢社の如くなりたるを、高倉院承安四年大に旱魃せり、時に武蔵前司義信の子息桑門延朗と云人ありしかば、これを勅使として當所に雨を祈らしめたまふに、忽ち靈験ありければ勅ありて再建せさせたまふ、又元暦元年右大将頼朝當所に於て大般若轉讀せしめしことありと云、其後観應二年六月十七日雷火の爲に堂宇殘らず焼亡し、宣旨を始め社寶悉く烏有せしかと、程經て貞治二年近郡の人擧りて上木の費を供し堂塔を營み本尊を安置せり、此時八日朔日に遷宮ありしかば今に至るまで此日を以て祭禮の日と定めたる由、此等のこと縁起に見えたれどあかりし世のことなれば、其詳なることはすべて傳はらず、又當社に粥筒と云ことあり、梛の樹根に於て筒の中へ粥を入梛の葉を交へて暫く煮、その筒を割て年の豊凶を占ふて穀物野菜等の種時を定むと云、此は天暦三酉年正月七日神託により、村民さしつとふて是を行ふに靈験甚だ著しければ今に至るまで絶ず、又祭禮の日鳥居の前にて相撲を興行せり是を草相撲といへり、江戸より相撲の者来りて行ふことなり、斯ることは他の神事にも有ことなれど、土俵などいかめしくしつらいをき、殊に賑はへることなりと云。
寶物。
牛王板一枚。縁起によるにかの全壽といいし僧、樹のいろにありて法華經修行せしとき、権現より授る所なりとうけかひ難き説なり、されど文字自ら漫滅して何かにも古き様なり、數百年の星霜をへたる物なることは疑ひなし。
大般若經闕本三百五十八巻。この經もと高倉院等社御信仰のあまり、御染筆ありて納めたまふ所なりと云、今は三百五十八巻を蔵せり、巻末に文治年八月十六日書寫元久二年十一月と記すもあり、又日下部之朝臣某など記すもあり、此等は後人のたびたびに闕を補ひしものなるべしと云り、この餘近代補ひし巻も少なからず、大抵おくに年號姓名さまざまあれどしばらくこれを略す。
古番帳次第一枚。右當社に社僧十七坊ありて交る交る番を勤む、則その頃の次第を記せしものなり、其文左の如し。

法華寺毎日例時番帳之次第
心連坊 正五区月 自一日 至七日
禅乗坊 正五区月 自八日 至十四日 
覺城坊 正五区月 自十五日 至廿一日
別當坊 正五区月 自廿二日 至廿八日
(以下中略)
龍頭一箇。承安四年旱魃の時、延朗上人に祈念あるべき由勅命ありしかば、上人則十二の龍頭を作り、八大龍王を勧請し密法を行ひしに、忽靈験ありしとなり、今は其一を蔵せり。
末社。
稲荷社、石階を上り右の方にある小祠なり。
山王社、鳥居の左の方にあり。
辨天社、いの字池の中にあり、是も小祠。
梛樹。
全壽仙人の隠棲して法華經を轉讀せし所なり。其古木は枯てわづかに形のみ殘れり、近き頃童木三株を植ゆ、又この山の麓に廣四五尺四方ばかりの小池あり、是権現の御手洗池なりいかなる久き旱なりとも古より渇することなしとなり、一に禅定水となづく。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による師岡熊野神社の由緒

神亀元年(七二四)正月創立と伝える。光孝天皇の御時、勅使藤原中条有房卿を当社に下向せしめ、関東随一大霊験所熊野宮の勅額及び「武州都筑郡熊野山神前にて自今以後宝祚之御祈を勧行せしむるによりて今度可為勅願所之旨勾当内侍奉書を被下訖」との綸旨を下し十七坊を附し、以後宇多、醍醐、朱雀、村上五帝の勅願所となる。承安四年(一一七四)再度勅使参向し社殿再興さる。歴代将軍より各社領を附せられ現在の社有地の多くは御朱印地である。明治三年五月県社に列格、氏子の陳情により同六年郷社となる。昭和四十九年創立一千二百五十年式年祭及び記念復興事業が完成された。(神奈川県神社誌より)

境内掲示による師岡熊野神社の由緒

当神社に伝わる熊野山略縁起によると、この神社は第四十五代聖武天皇の神亀元甲子年(西暦七二四年)に全寿仙人によって創建され和歌山県熊野三社の御祭神と一体である。
全寿は、この地に不思議な霊威を感じ御神木欅の大木のうろに住み日夜祈り続けた。ある暁、夢枕に熊野大神が立たれ、お告げに従って大和国春日明神に参籠、神霊を感得してこの地に帰り、熊野大神を祀ったのである。
仁和元年七月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊野宮」の勅額を賜りそれ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は天暦三年より一千数十回にもなる。
観応二年六月十七日雷火のため社殿は焼失したが神体、社宝は無事であり特に貞治三年記の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝えて居る。例えば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池、のの池、ちの池の伝説等、枚挙にいとまがない。
室町期に北条早雲公、慶長四年徳川家康公、寛永十九年家光公、寛文五年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め、代々の将軍家の崇敬極めて篤く、神社への御朱印は幕末まで続けられた。明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに分割され、明治三年縣社に列格したが氏子の陳情する所あって、明治六年三十三ヶ村の郷社に列した。
当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、又、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。(境内掲示より)


師岡熊野神社所蔵の文化財

  • いの池(い・の・ちの池の一つ)(横浜市指定地域史跡)
  • 師岡熊野神社の筒粥(横浜市指定無形民俗文化財)
  • 熊野神社の社叢林(神奈川県指定天然記念物)
  • 師岡貝塚(横浜市指定地域史跡)

いの池(い・の・ちの池の一つ)(横浜市指定地域史跡)

池の中央に、水神社がまつられており、例年八月、水神祭が行われている。また、毎年正月に苗代田の祭である水口祭が行われるなど、「いの池」と熊野神社には、農耕にちなんだ儀礼がいくつか伝えられている。
この池は、古くから利用されてきた灌漑用の溜池であったと思われる。熊野神社のある丘陵の南側には、沖積低地が広がり、この池の周辺には早くから水田が開けていた。「市の坪」などの地名は、条里制の存在を示すものである。
また、「いの池」には片目の鯉の伝説も伝えられている。
熊野神社社殿の裏に、「のの池」があり、神社の神事の際にその水が使用される。さらに、「いの池」の西方、約五〇〇mのところに、「ちの池」と呼ばれる溜池があった。今は埋め立てられて大曽根第三公園となっている。この三つを「いのちの池」と呼んでいるのは、かつての時代の人々の水に対するかかわりの深さをよくあらわしている。(横浜市教育委員会掲示より)

師岡熊野神社の筒粥(横浜市指定無形民俗文化財)

筒粥とは稲作民族の間で行われる粥占・粥だめしの一種で、竹筒や芦の筒を入れて粥を煮、筒の中に入った米粒の數で作柄・豊凶や天候を占う年占です。師岡熊野神社では毎年一月十四日に行い、粥粒の量により農作物の作柄などをそれぞれ五種に分け占札に記入し、氏子区域に配布します。農家では、これを参考にして種蒔きをしました。また、粥は参詣者に供せられ、これを頂くと風邪をひかぬといわれています。
社伝によれば、この行事は村上天皇の天暦三年(九四九)以来一千余年継続しているとされ、由緒も古く、農作にまつわる重要な民俗行事です。(横浜市教育委員会掲示より)

師岡熊野神社の周辺図