箕輪諏訪神社|横浜市港北区箕輪町の神社

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箕輪諏訪神社|文安元年に創建、箕輪村の鎮守

箕輪諏訪神社の概要

箕輪諏訪神社は、横浜市港北区箕輪町にある神社です。箕輪諏訪神社は、箕輪村の鎮守社として文安元年(1444)に創建、大正3年に村内にあった御嶽社・稲荷社・天神社・神明社・厳島神社・道祖神を合祀したといいます。

箕輪諏訪神社
箕輪諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 武御名方命、天照大神、大己貴命、少彦名命、倉稲魂命、市杵嶋姫命、国常立命、菅原天神、猿田彦命
相殿 -
境内社 疱瘡社
住所 横浜市港北区箕輪町3-8-9
祭日 10月10日
備考 -



箕輪諏訪神社の由緒

箕輪諏訪神社は、箕輪村の鎮守社として文安元年(1444)に創建、大正3年に村内にあった御嶽社・稲荷社・天神社・神明社・厳島神社・道祖神を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による箕輪諏訪神社の由緒

(箕輪村)
太神宮
村の東の方山の上にて字太右衛門谷と云所にあり、享徳二年に勧請せしと云、させる證も無れと古松數株ありて社地の舊たる様さも有べきか、例祭は九月二十二日七年に一度祭る、其故ば當社及び下にある所の稲荷天神各隔年の祭を一社づつ順に送りて祭るゆへ斯隔たれりと、三社共に村内大聖院
末社辨財天社。本社二向ひて左にあり小社南に向ふ、社地の内辨財天と呼ぶ小池をもて祠の邊をめくりたればかく唱ふと云。
稲荷社
字梅谷にて山の上に社を結ぶ九尺二間南に向ふ、前のなだれに路を開き大松二株狭みてたてり、寛永六己巳年勧請すと云、祭禮の事太神宮の條下に出せり
天神社
村の東字向と云所にあり、是も山の上に社あり、元禄二年正月勧請すと云。
御嶽社
村の中央根方といふ所にあり、前に石階十二級あり、下二木の鳥居をたつ。大なる杉の木あり、例祭年々二月八日木月村妙海寺持、此社は古は綱島村の田間にありしを某の年當村へ移す、其所にも亦わづかの石祠を置て此社の有し證として今にあり。
諏訪社
此も根方にあり、村の鎮守なり、前に木の鳥居を建拝殿三間に二間本社に作りそへたり、神體木像にて長六寸文安元年鎮座なりと云傳ふれど其まさしき事を知らず、例祭七月二十四日。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による箕輪諏訪神社の由緒

当社は、室町時代前期の文安元年、箕輪村の鎮守として祭られ、御神体は長さ六寸の木像で、三間に二間の拝殿が本社に造り添えられ、前には木の鳥居が建ち、例祭日は七月二十四日であった、と新編武蔵風土記稿に記されている。また、江戸時代、安永五年の同村景谷山東観寺大聖院の記録には、その”支配宮”であったことが明記されている。
年経て、大正三年十月八日、部落内に鎮座する御嶽社・稲荷社・天神社・神明社・厳島神社・道祖神を合併し、箕輪の総鎮守として崇敬され、現今の発展を見るに至っている。(境内掲示より)


箕輪諏訪神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿