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手子神社|横浜市金沢区釜利谷南の神社

手子神社の概要

手子神社は、横浜市金沢区釜利谷南にある神社です。手子神社は、釜利谷の領伊丹左京亮が、文明5年(1473)瀬戸神社の御分霊を宮ヶ谷の地に勧請して創祀したといいます。江戸期には釜利谷郷の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格、大正2年神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。

手子神社
手子神社の概要
社号 手子神社
祭神 大山祇命
相殿 -
境内社 竹生島弁才天社
住所 横浜市金沢区釜利谷南1-1-8
祭日 例大祭7月17日・秋祭湯立神楽10月15日
備考 -



手子神社の由緒

手子神社は、釜利谷の領伊丹左京亮が、文明5年(1473)瀬戸神社の御分霊を宮ヶ谷の地に勧請して創祀したといいます。江戸期には釜利谷郷の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格、大正2年神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。

新編武蔵風土記稿による手子神社の由緒

(赤井村)
手子明神社
除地、二畝、南の方宿村と入會し所にあり、本社西向、拝殿三間に六間、社前に石階を設け石の鳥居をたつ、其前に宮川の流あり、是に長五間の橋を架す、本地佛は薬師にて立像長一尺許なるを安ず、釜利谷三村の鎮守にして、例祭六月十一月共に初酉の日なり、村内満蔵院持。
末社
稲荷社。本社の左の後にあり、小社。
庚申社。同じ邊にて小社なり、又社後の山上に小社あり、祭神詳ならず、土人は此社を上の山とのみ稱せり。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による手子神社の由緒

文明五年(一四七三)、領主伊丹左京亮が瀬戸三島明神を勧請、後に孫裔伊丹三河守昌家が修造を加えた。延宝七年四月十日伊丹氏の裔、浅草寺智楽院忠蓮権僧正が再興して以来、釜利谷郷総鎮守として信仰をあつめた。明治六年村社に列格、大正二年神饌幣帛料供進神社に指定された。関東大震災後大正十五年現社殿完成、御屋根は昭和四十五年の萱葺である。
境内社「竹生島弁才天」は、古くより金沢八景の一つ「小泉夜雨」の勝景の中心にあり、享保八年四月江戸深川の木島又右衛門政尚が夢告によって本尊を安置、祭祀を復興したものであるが、昭和十五年該地が海軍航空支蔽用地として収容せられた際、本社境内に遷祀された。銘都市四月初巳の日を例祭日とする。(神奈川県神社誌より)

境内掲示による手子神社の由緒

文明五年(一四七三)釜利谷の領主であった伊丹左京亮が、瀬戸神社の御分霊を宮ヶ谷の地に勧請したのを当社の創始と伝へる。
延宝七年(一六七九)伊丹氏の子孫である三河守昌家の子、江戸浅草寺の智楽院忠蓮僧正が、現在の地に遷祀して以来、釜利谷一郷の総鎮守として衆庶上下の崇敬を集め、明治六年村社に列格、社殿は大正十二年の震災で倒壊の後、同十五年に再建、昭和四十五年御屋根を総銅板葺に改修した。
現在は、宗教法人として神社本廳に所属する。(境内掲示より)


手子神社の周辺図