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甚行寺。横浜市神奈川区青木町にある真宗高田派寺院

甚行寺の概要

真宗高田派寺院の甚行寺は、真色山と号します。甚行寺は、意円上人が本山の専修寺14世堯秀を勧請して明暦2年(1656)に創建したといいます。江戸時代の開港当時、本堂がフランス公使館に充てられていたといいます。

甚行寺
甚行寺の概要
山号 真色山
院号 -
寺号 甚行寺
住所 横浜市神奈川区青木町3-10
宗派 真宗高田派
葬儀・墓地 -
備考 -



甚行寺の縁起

甚行寺は、意円上人が本山の専修寺14世堯秀を勧請して明暦2年(1656)に創建したといいます。江戸時代の開港当時、本堂がフランス公使館に充てられていたといいます。

新編武蔵風土記稿による甚行寺の縁起

甚行寺
西北の側にあり。浄土真宗伊勢国一身田専修寺の末山にて真色山と号せり。本山14世堯秀開基せり。本尊阿弥陀長1尺5寸立像なり。恵心僧都の作と云。客殿は5間に6間半。
寺宝。
祖師木像一体。親鸞三十八歳の時の自作なり。
太子影像一幅。
七高僧影像一幅。
開山画像一幅。
稲荷社、門を入て右にあり。小祠なり。(新編武蔵風土記稿より)

「神奈川区史」による甚行寺の縁起

古来から阿弥陀如来を安置した小堂があった。神奈川宿の人で伊勢国白子出身の伊勢屋甚右衛門が、伊勢国一身田専修寺第十四世尭秀上人が江戸下向の折、箱根まで上人をお迎えに参り尭秀上人を勧請開山に、阿弥陀堂を一寺に起立したのが、明暦元年のことで、寺号を允許されたのが明暦二年(一六五六)であった。伊勢屋甚右衛門は開基で一世となった。宝暦年中、火災に罹ったが再建、横浜開港当時は本堂は土蔵であったが、これを改造してフランス公使館が一時使用した。
大正一二年の関東大震災には堂宇の全ては倒壊焼失、また昭和二〇年五月二九日の大空襲にも再度全焼した、戦後一時仮堂と庫裡を建立したが、昭和四六年六月二三日本堂と客殿は鉄筋コンクリート建、延一〇五坪を建立した。同日山門右側に「史跡フランス公使館跡」の記念碑を除幕した。(「神奈川区史」より)

「神奈川区宿歴史の道」掲示による甚行寺の縁起

甚行寺は、真色山と号し、浄土真宗高田派に属す。明暦2年(1656)第1世意円上人が本山専修寺の第14世を招いて、この寺を草創したと伝えられている。
開港当時、本堂は土蔵造りであったが、改造を加えてフランス公使館に充てられたといわれている。
大正12年の関東大震災には全ての建物を倒壊焼失し、さらに昭和20年の横浜大空襲にも再度全焼した。その後、昭和46年に本堂・客殿を鉄筋コンクリート造で再建し、現在に至っている。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より)

「横浜市史稿」掲示による甚行寺の縁起

甚行寺
位置
甚行寺は、眞色山淸淨之院と號し、神奈川區靑木町字元町三百八十一番地にある。境内は五百二十八坪。伊勢國一身田專修寺の末で、寺格は永代院家である。
沿革
この地に古くより阿彌陀如來の尊像を安置した小堂があつたところ、明曆二年、意圓上人が、本山專修寺第十四世堯秀上人を勸請して、これを一寺に起立したのである。寶曆年中、火災に罹り、其後五間に六間半の客殿を再建したと云ふ。開港當寺の本堂は、土藏造であつたが、これに多少の改造を加へて、一時佛國公使の假寓に充てられたことがあつた。大正十二年九月一日、大震火災に罹り、本堂・庫裡・太子堂等、悉く倒潰燒失した。直後、假堂を營み、次いで本堂の再建を起し、昭和二年五月二十五日を以て竣工、入佛式を行つた。
本尊
本尊は阿彌陀如來立像、高一尺五寸、傳に惠心僧都作である。(「横浜市史稿」より)


甚行寺の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「神奈川区史」
  • 「横浜市史稿」


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