円福寺。横浜市保土ケ谷区西久保町にある高野山真言宗寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

羯摩山円福寺。横浜三十三観世音霊場、東国八十八ヵ所霊場

円福寺の概要

高野山真言宗の円福寺は、羯摩山密藏院と号します。円福寺の創建年代等は不詳ながら、僧真元が開山となり永享2年(1430)に創建したとも善譽法印が(享禄4年1531年寂)が開山したともいいます。横浜三十三観世音霊場11番、東国八十八ヵ所霊場29番です。

円福寺
円福寺の概要
山号 羯摩山
院号 密藏院
寺号 円福寺
本尊 地蔵菩薩
住所 横浜市保土ケ谷区西久保町137
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



円福寺の縁起

円福寺の創建年代等は不詳ながら、僧真元が開山となり永享2年(1430)に創建したとも善譽法印が(享禄4年1531年寂)が開山したともいいます。

新編武蔵風土記稿による円福寺の縁起

円福寺
岩間町の内にて海道より百間許を隔つ。古義真言宗久良岐郡太田村東福寺の末にて羯摩山密藏院と号す。開山僧真元後花園院の御宇永享2年の起立なり、客殿6間に5間、乾に向ふ。本尊は地藏の立像長1尺5寸ばかり。境内の外に居山5段3畝10歩寺地へつづけり。
金毘羅社
寺の後の方にあり。9尺に6尺の社なり。前に石階あり、凡三丈ばかりも高き所なり堂の前より望めば神奈川をはじめ所々の山々眼中に入りて眺望いと美なり、この金毘羅は近き頃祀りしと云り。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿」による円福寺の縁起

圓福寺
位置
圓福寺は、羯摩山密藏院と號し、中區久保町千五百二十八番地にある。境内坪數未詳。大本山高野山金剛峯寺の直末で、寺格は十二等格院、市内觀音三十三所の第十一番の靈場である。
沿革
新編武藏風土記稿に、開山僧、眞元、後花園天皇の御宇、永享二年の起立としてある。寺の過去帳には、開山、善譽法印、享祿四年七月十二日寂、第二世眞言と載せてある。今、其の仔細を判じ難い。寛永十年二月十五日議定の關東古義眞言宗本末帳に、太田鄕東福寺末と見え、爾來、同寺に隸して居たが、大正十五年、大本山金剛峯寺の直末となつた。昭和二年の市區改正によって、舊來の境内、千五百二十五番地は、街路に編入せられたので、同年今の境内に移轉し、堂宇の再建を遂げたのである。
本尊
本尊は地藏菩薩の立像、高一尺五寸許。寺後の竹林中より出現した所と傳へ、尊像の側に堂が立てゝある。依つて俗に筍地藏と呼ぶ。(「横浜市史稿」より)

保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようによる円福寺の縁起

開山は室町時代初期(1430年)。本尊は地蔵菩薩。この本尊には、寺の背後の竹林から出現したという筍地蔵の伝説がある。国道沿いのツツジが美しい。真言宗。(保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようより)


円福寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿」