随流院。横浜市保土ケ谷区川島町にある曹洞宗寺院

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川島山随流院。旧小机領三十三所子歳観音霊場

随流院の概要

曹洞宗寺院の随流院は、川島山と号します。随流院は、臨濟宗建長寺派の利庵榮叟和尙が嘉吉元年(1441)に開基、觀音寺と称していたといいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領3石余の御朱印状を拝領、小机雲松院第八世榮岩宗茂和尙(延寶7年1679年寂)が曹洞宗寺院に改めて中興開山したといいます。旧小机領三十三所子歳観音霊場6番です。

随流院
随流院の概要
山号 川島山
院号 随流院
寺号 -
本尊 正觀世音菩薩像
住所 横浜市保土ケ谷区川島町501
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



随流院の縁起

随流院は、臨濟宗建長寺派の利庵榮叟和尙が嘉吉元年(1441)に開基、觀音寺と称していたといいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領3石余の御朱印状を拝領、小机雲松院第八世榮岩宗茂和尙(延寶7年1679年寂)が曹洞宗寺院に改めて中興開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による随流院の縁起

(川島村)随流院
境内一萬八千九百七十二坪、村の東にあり、慶安元年十月二十四日、境内観音堂領三石餘の御朱印を賜へり、當寺は嘉吉元年の草創にして、其頃は観音寺と號したれど、わづかなる庵室のさまなりしといふ、開基榮叟は享保二年十月九日化す、遥の後僧宗茂が住せしときより一寺となりしとぞ、このときより今の如くに改めしなるべし、宗茂は延寶七年二月十五日寂せり、今これを開山とせり、曹洞宗にて、橘樹郡小机村雲松院の末寺にて、川嶋山と號す、客殿九間に六間半、本尊釋迦の坐像長一尺。
観音堂。客殿の左にあり、二間四方、本尊観音は弘法大師の作にして、則昔の本尊なり、相殿に金毘羅を祭れり。
鍾樓。客殿の右にあり、八尺四方、鐘徑二尺ばかり、文化七年再興の銘文あり。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿」による随流院の縁起

隨流院
位置
隨流院は、川島山と號し保土ヶ谷區川島町五百一番地にある。境内は八百六十五坪。小机町の曹洞宗雲松院の末で、寺格は三等法地四十四級、小机觀音札所の第六番である。
沿革
當寺は、嘉吉元辛酉年に、臨濟宗建長寺派の利庵榮叟和尙が開基した所で、當時は觀音寺と稱した一小庵であつた。榮叟は享祿二年十月九日示寂し、其後凡二十世を歷、建物は火災に罹り、殆ど廢絕したのを、小机雲松院の第八世榮岩宗茂和尙が之を中興して、曹洞宗に改め、境地を今の處に變へて、堂宇を建立し、今の寺號に改めた。故に新に宗茂を開山と仰ぐ。宗茂は延寶七年二月十五日寂した。其後數代は本寺より兼住したと云ふ。享保九年、第五世壺仙天和尙が本堂を再建した。慶安元年十月二十四日、將軍家綱より觀音堂領三石餘の朱印地を下附された。松月庵及び禪道庵を進退して居たが、其後松月庵は廢絕した。
本尊
本尊は、正觀世音菩薩鐵造立像、長七寸、傳に弘法大師作と云ふ。
往昔は釋迦を本尊としたが、近年觀音に改めたと云はれる。 (「横浜市史稿」より)


随流院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿」