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医薬神社|横浜市青葉区柿の木台の神社

医薬神社の概要

医薬神社は、横浜市青葉区柿の木台にある神社です。医薬神社は、天正年間(1573-1592)に創建した医王山薬王院東光寺内に境内社として創祀したといいます。明治初年の神仏分離令に際して、寺を廃して医薬神社としたといいます。

医薬神社
医薬神社の概要
社号 医薬神社
祭神 大国主命、少彦名命
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市青葉区柿の木台28-2
祭日 例大祭5月8、9日
備考 -



医薬神社の由緒

医薬神社は、天正年間(1573-1592)に創建した医王山薬王院東光寺内に境内社として創祀したといいます。明治初年の神仏分離令に際して、寺を廃して医薬神社としたといいます。

新編武蔵風土記稿による医薬神社の由緒

(上谷本村)東光寺
境内御朱印地の内、村の東宇和田の内にあり、新義真言宗、郡内王禅寺の末、醫王山薬王院と號す、客殿五間半に六間艮向なり、本尊薬師は木の坐像にて長二尺五寸餘其作を傳へず、開山の年代は其傳を失へり、慶安二年八月二十日、本尊薬師へ高五石の御朱印を賜ふ。(新編武蔵風土記稿より)

「神奈川県神社誌」による医薬神社の由緒

天正年間の創建と伝える。真言宗関東三ケ寺の一つ醫王山薬師院東光寺の境内社であった。住持諦恵は水戸烈公の庶子で、村名を姓とし、境内に湧出する清水にちなんで名を谷本泉と改めた。明治維新後、寺を廃し、醫薬神社の神職となり、神葬祭を推進した。現在も神葬祭霊園を管理し、八月九日には、「みたま祭」を、三月と九月には春秋季霊祭を奉仕している。(「神奈川県神社誌」より)


境内掲示による医薬神社の由緒

戦国時代末期の天正年間(一五七三〜一五九二)、真言宗関東山ヶ寺の一つとして創建された醫王山薬師院東光寺の境内に山号の「醫」、寺号の「薬」を取り「醫薬神社」として祀られたのが始まりという。
江戸時代末期、水戸藩主徳川斉昭の庶子として生まれた東光寺住持諦恵が明治初年に新政府が神仏分離令を発布したとき水戸神道を奉じて僧侶から神職となり、近隣の上谷本・下谷本・上市ヶ尾・成合の四ケ村の檀家は神社神道に改宗し、東光寺を廃祀して醫薬神社を独立創祀した。
諦恵はこのとき谷本の村名を姓として名乗り、こんこんと湧き出る境内の井戸に因み泉と称した。
当初の社殿は、一尺五寸四方の小祠で、昭和の初期に改造営したが、戦後に至って朽ち果てたため新社殿を再建し、昭和四十二年三月二十一日遷座奉祝祭を斎行した。
その後土地区画整理事業により町並みが一変したため、社殿の向きを南向きに変えた。
御祭神大国主神は、親子で手を携えて国を回ったといわれる故事により縁結びの神様として広く信仰されている。
また、大国主神が稲羽の素兎を助けた神話に因み、病気平癒・厄除・安産成就・無病息災・延命長寿のご利益のある神社として崇敬されている。(境内掲示より)

医薬神社の周辺図


関連資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 神奈川県神社誌