阿豆佐味天神社|西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷の神社

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阿豆佐味天神社|上総介高望王が再建が寛平年間に再建、延喜式内社、旧郷社

阿豆佐味天神社の概要

阿豆佐味天神社は、西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷にある神社です。阿豆佐味天神社の創建年代等は不詳ながら、上総介高望王が再建が寛平年間(889-898)に再建したと伝えられ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載される多磨郡八座のうちの一社だといいます。江戸時代には社領12石の御朱印状を拝領、明治6年には郷社に列格していました。

阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社の概要
社号 阿豆佐味天神社
祭神 少彦名命、素盞嗚尊、大己貴命
相殿 -
境内社 奥宮、神明宮、八幡社、熊野社、雷神社、正一位稲荷神社、厳島社、須賀神社
住所 西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷1008
祭日 -
備考 -



阿豆佐味天神社の由緒

阿豆佐味天神社の創建年代等は不詳ながら、上総介高望王が再建が寛平年間(889-898)に再建したと伝えられ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載される多磨郡八座のうちの一社だといいます。江戸時代には社領12石の御朱印状を拝領、明治6年には郷社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による阿豆佐味天神社の由緒

(殿ヶ谷村)阿豆佐美天神社
村の中ほど狭山の麓にあり、神主宮崎和泉と云、本社二間四方、拝殿二間に五間、祭神は少彦名命にて、神體はなく画像を掛く、御朱印十二石を附せらる、抑當社は式内の社當郷八座その一にして、往古より此所に鎮座すと云、されど舊記の徴とすべきこともみえず、又正しく土人の口碑にのこりたることもあらざれば、そのたしかなることをしらず、近村奈良橋村など、阿豆佐美の里と稱す、當所に近き所なればかく唱ふと云、又享保年中の棟札あり、其文の中に文明十四年村山土佐守、同雅楽助及一族等土木の費を供して、社檀を再修せしこと見ゆ、文明中の再修なれば、古社なることしるべし、此文外にとるべき説もなければ、その全文を略すぬ、村山氏のこと村の條下及び福正寺、又箱根ヶ崎等所々にいたしたれば合せ見るべきなり。(新編武蔵風土記稿より)

「瑞穂町史」による阿豆佐味天神社の由緒

式内社多摩郡八座のうちの一社である。明治六年十月郷社の指定を受けた。江戸時代には幕府より朱印十二石を与えられていた。社伝に寛平年中、上総介高望王が再建したとある。(「瑞穂町史」より)

「東京都神社名鑑」による阿豆佐味天神社の由緒

延喜式内多摩八座の一つで、寛平四年(八九二)従五位下、上総介高望王の創建と伝う。その後、天正十二年(一五八四)、慶長三年(一五九九)の修復を経て、享保年間(一七一六-三六)当地方の豪族村山土佐守により社殿の修復が行われた。また、北条、徳川氏の崇敬も厚く、多くの神領地を寄進、北条氏照より十五貫文の地を、また徳川幕府は累代十二石の朱印地を寄せた。現社殿は明治二十七年に改修。(「東京都神社名鑑」より)


阿豆佐味天神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 瑞穂町史
  • 東京都神社名鑑