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普濟寺|立川市柴崎町にある臨済宗建長寺派寺院

普濟寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の普濟寺は、玄武山と号します。普濟寺は、物外可什禅師が開山、武蔵七党日奉氏の支族である立川宮内少輔宗恒が開基となり、文和2年(1353)に創建したといいます。羽柴秀吉の小田原征伐により立川氏が滅亡、立川氏の居館だった当地に普濟寺が移されたといいます。江戸時代には、寺領20石の御朱印状を拝領、末寺18ヶ寺を擁した中本寺格の寺院だったといいます。

普濟寺
普濟寺の概要
山号 玄武山
院号 -
寺号 普濟寺
宗派 臨済宗建長寺派
住所 立川市柴崎町4-20-46
葬儀・墓地 -
備考 -



普濟寺の縁起

普濟寺は、物外可什禅師が開山、武蔵七党日奉氏の支族である立川宮内少輔宗恒が開基となり、文和2年(1353)に創建したといいます。羽柴秀吉の小田原征伐により立川氏が滅亡、立川氏の居館だった当地に普濟寺が移されたといいます。江戸時代には、寺領20石の御朱印状を拝領、末寺18ヶ寺を擁した中本寺格の寺院だったといいます。

新編武蔵風土記稿による普濟寺の縁起

(柴崎村)普濟寺
村の南にあり、玄武山と號す、済派の禅宗、鎌倉建長寺末、寺領御朱印廿石を附せらる、十八院の末寺を統、起立の年代詳ならず、開山大定禅師貞治二年十二月八日寂、本尊聖観音長二寸五分、又十六羅漢の木像あり、長各一尺五寸、共に本堂に安す、寶山道貴大禅定門と題せる位牌あり、背に大檀那立川宮内少輔牌とあり、尋るに立川は武蔵七黨より出しものにて、宮内少輔昭重は小田原北條に仕へて、天正の亂に共に滅亡せし者なり、當院の境内は此人の壘城なりと傳へて、今に總門の左右より南へ掛て土居幷掘跡あり、境外は昔民の棲居となりぬれば、古へのすがたは更になし、おもふに此寺立川氏全盛の比菩提所にして、他所に在しを滅亡の後此地に移して、亡霊を鎮せしものなるべし、今村民に立川を氏とせるものなく、却て近郷に往々あり、皆族類の末なるべしと云。
本堂。六間に十一間、東向。
釋迦堂。三間に四間、門外にあり。
開山堂。三間四方。
辨天社。小社なり。
稲荷社。小社。
閻魔堂。二間半四方。
鐘楼。本堂の前にあり、六尺四方、近来の鋳造なり。
門。八尺に六尺。
古塔。本堂後背の墓所にあり、碧石の六面塔なり、毎面廣さ一尺五寸、高凡五尺五寸餘、六方に四天と二王の像を彫、その上に寶づくしをきざめり、佛體の畫様唐畫をうつして、名工の彫刻せしものに見え、銘もあり、その圖右の如し、又墓門の石扉とおぼしきもの一枚、庭樹の根に埋もれてあり、寺僧の話にかくの如きものなを一枚ありしが、往昔墓所の土中に埋めしといふ、是恐くは立川氏先墳の舊物なりしものを、兵亂の時或は發掘をへて散亂せしなるべし、しかるを其後寺を移す時、聚めて此所にもて来りしものならんか、いかにも古色あるものなれば、姑くここにのす、長四尺餘、廣一尺三寸許。
塔頭。
心源庵。門前にあり、客殿六間に四間、本堂如意輪観音。
有慶庵。本堂の北にあり、客殿五間に三間本尊観音長一尺三寸許。(新編武蔵風土記稿より)


普濟寺所蔵の文化財

  • 六面石幢(国宝)
  • 立川氏館跡(東京都指定史跡)

立川氏館跡

玄武山普済寺は、開山は物外可什禅師、開基は立川宮内少輔宗恒により文和二年(一三五三)に創建されたとされます。立川(河)氏は武蔵七党西党日奉氏の支族で、地誌類の記述や、多摩川を望む眺望・防御に適した立地、現在も山門脇に残る土塁、普済寺北側の通称首塚から発見された板碑八〇余基などから、この普済寺の地が立川宮内少輔の居館とされます。この鎌倉時代の居館に南北朝時代に屋敷内に寺(普済寺の前身)を建立し、戦国末に立川氏滅亡した後に現在の普済寺となったとされてきました。
平成八年(一九九六)以降の発掘調査等により、一五世紀前半から一六世紀前半期にかけての屋敷に伴う建物跡、井戸跡、門址、柵列跡や東側土塁脇から区画を示すV字溝などの遺構が発見されています。居館は切り立つ段丘崖と直行する東西二本の土塁や地割りなどから寺域を囲む長方形区画の居館が想定されていますが、地中レーター探査による想定範囲を超えた区画溝の痕跡もあり、居館の範囲や居館と寺院の変遷過程の再検討が必要です。(東京都教育委員会掲示より)

六面石幢(国宝)

高さ約百六十六センチメートル(五尺五寸)、幅約四十二センチメートル(一尺四寸)、厚さ約九センチメートル(三寸)の六枚の緑泥片岩(秩父青石)が、同質の土台石と笠石によって六角に組み立てられている。六枚の緑泥片岩の各面には、それぞれ仁王像(阿金剛・吽金剛)と四天王像(持国天・増長天・広目天・多聞天)が浮彫りにされている。延文六年(一三六一)に、寺と信徒の安全とを願い、開山の弟子・性了が建立し、道円が彫ったものである。(境内掲示より)

普濟寺の周辺図

参考資料