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本覚院|昭島市拝島町にある天台宗寺院、拝島大師

本覚院の概要

天台宗寺院の本覚院は、拝島山と号します。本覚院は、織田信長の焼討ちにあった比叡山から慈恵大師像(元三大師像)を救い出して、諸国を流浪していた天台座主敬湛大僧都が、天正6年(1578)拝島に大師像を安置して創始したといいます。滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が拝島大日堂を再建した時に寺観が整ったといい、江戸期には拝島大日堂と共に徳川家康より御朱印状を拝領していました。慈恵大師像(元三大師像)は拝島大師として崇敬を集め、正月二、三日に開かれる「だるま市」で著名な他、拝島大日堂の別当寺を勤めています。

本覚院
本覚院の概要
山号 拝島山
院号 本覚院
寺号 -
本尊 慈恵大師像
宗派 天台宗
住所 昭島市拝島町1-6-15
葬儀・墓地 -
備考 -



本覚院の縁起

本覚院は、織田信長の焼討ちにあった比叡山から慈恵大師像(元三大師像)を救い出して、諸国を流浪していた天台座主敬湛大僧都が、天正6年(1578)拝島に大師像を安置して創始したといいます。滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が拝島大日堂を再建した時に寺観が整ったといい、江戸期には拝島大日堂と共に徳川家康より御朱印状を拝領していました。

新編武蔵風土記稿による本覚院の縁起

(拝島村)本覺院
大日堂の東の方にあり、拝嶋山と號す、天台宗同末寺(高月村圓通寺末)なり、文化の初回禄せし故開山詳ならず、客殿南向にて、今假に設る所四間に八間、本尊彌陀を安す、大日領の内一石を配當せり。
元三大師。堂焼失後いまだ再造に及ばず、客殿に安す、木の坐像にて長二尺三寸、毎年正月三日近さとより参詣群集をなせり。
諏訪社。
客殿の西の方にあり、小祠にして、神體は白幣也。(新編武蔵風土記稿より)

「昭島市史」による本覚院の縁起

本覚院(拝島町)
拝島山と号す天台宗の寺院。元三大師と呼称し、拝島大師として多くの人々の信仰を得ている。本尊は慈恵大師自作の坐像である。慈恵大師は天台座主として天台宗中興の祖として仰がれ、寛和元(九八五)年一月三日に入寂したことから元三大師と称せられたが、これが本覚院の別名となった。大師自作の像は延暦寺の寺宝であったが、元亀二(一五七一)年延暦寺が織田信長の手によって焼討ちされた際、敬湛大僧都が本尊を救出した。その後、敬湛は諸国を行脚し続けていたところ、天正六(一五七八)年現在の昭島市拝島町に至り、一堂を建立して安置したことが本覚院の創始となった。それ以後、元和三(一六一七)年に焼失し、寛永二一(一六二五)年に再建され、享保一七(一七三二)年に大修繕が行われた。また、文化初年に羅災し、文政二(一八一九)年に修覆したと伝えられているが、現在の本堂は昭和二五年に大修覆されたものである。
なお、元三大師は人々を救うために、厄病の守護に尽力したことから「厄除大師」とも呼ばれているが、本覚院にもこの信仰が厚く、正月二、三日に開かれる「だるま市」は古来から高名を馳せ、無病息災、家内安全を願って遠い地域からも善男善女が集り活況を呈している。(「昭島市史」より)


本覚院所蔵の文化財

  • 本覚院本堂天井板絵五十五面及び杉戸絵十六面(市指定有形文化財)

本覚院本堂天井板絵五十五面及び杉戸絵十六面

天井板絵は、竜図を中心として花卉図二十二区画にヒマワリ、オモダカなど、鳥獣図三十二区画にイヌ、サル、シラサギなどが描かれ天保十四年(一八四三)大岡雲峰の作です。
杉戸絵は、外陣とその左右の間との間仕切にある杉板戸左右各四枚で内側に飲中八仙各一名を描き、外側にそれぞれマツとウメの老木各一株を描いた墨絵です。(昭島市教育委員会掲示より)

本覚院の周辺図

参考資料