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拝島神明神社|昭島市拝島町の神社

拝島神明神社の概要

拝島神明神社は、昭島市拝島町にある神社です。拝島神明神社は、矢口の渡しで北条氏に敗れた新田義貞の家臣三津田源之進が正平年間(1346-1369)当地に留まり、祭祀していたといいます。文禄年間(1592-1595)に改築、万治元年(1658)には久保久保庄右衛門が再建したといいます。一時期町後神社と称していたものの、明治28年神明神社と改称したといいます。

拝島神明神社
拝島神明神社の概要
社号 神明神社
祭神 天照大御神
相殿 -
境内社 稲荷社、八雲社、祖霊社
住所 昭島市拝島町1-19-11
祭日 1月21日
備考 -



拝島神明神社の由緒

拝島神明神社は、矢口の渡しで北条氏に敗れた新田義貞の家臣三津田源之進が正平年間(1346-1369)当地に留まり、祭祀していたといいます。文禄年間(1592-1595)に改築、万治元年(1658)には久保久保庄右衛門が再建したといいます。一時期町後神社と称していたものの、明治28年神明神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による拝島神明神社の由緒

(拝島村)神明社
除地、二段、村の北の方にあり、村民持(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による拝島神明神社の由緒

口伝によると正平年間(一三四六-六九)新田義貞の家臣三津田源之進が、矢口の渡しにて北条氏との戦に敗れ、落人として久保家にとどまり、御神体を奉じて祭祀していたが、その後、小祠を造営し、文禄年間(一五九二-九五)に改築したといわれ、さらに万治元年(一六五八)久保庄右衛門が再建し、宝暦二年(一七五二)二月までの数代にわたり奉斎していた。また本社はもと町後神社と称していたが、明治二十八年十一月十四日現社号に改称し、翌明治二十九年十月に再建されている。当時は稲荷社、八雲社、久保氏の祖霊を祀る祖霊社の末社があったが、大正六年の拝島大火にあり類焼したので、翌七年に先代友吉が再建し、末社三殿を本殿内に合祀した。(東京都神社名鑑より)

「昭島市史」による拝島神明神社の由緒

神明社(拝島町)
町後神社と称していたが、明治二八年一〇月神明社に改称した。創建年代は不詳であるが、正平年間(一三四六~一三六九)新田義貞の家臣三津田源之進が御神体を奉じて祭祀し、その後、小祠を造営し文禄年間(一五九二~一五九五)に改築したといわれている。さらに、万治元(一六五八)年久保庄右衛門が再建し、以後数代に亘って奉斉していた。明治二九年にも再建されているが、当時は宇迦之御魂神を祀る稲荷社、須佐之男命を祀る八雲社、久保氏の祖霊を祀る祖霊社の末社があった。しかし、大正六年の拝島大火にあい類焼したために、大正七年に再び建立し末社を本殿内に合祀した。祭神は天照大神で、御神体は金の座像である。(「昭島市史」より)

「神明神社栞」による拝島神明神社の由緒

創始は正平年間、新田義貞の家臣、三津田源之進が御神体を奉じて拝島に留まり祭祀しておりましたが、後に小祠を造営し、文禄年間に改築したとの口伝があります。萬治元年久保家の祖先久保庄右衛門がこれを再建奉仕しました。庄右衛門は敬神の念篤く本社奉仕の特許を得て宝暦二年まで数代勤続奉仕しました。
文化文政年間に編まれた「新編武蔵風土記稿」に、『神明社』として初見され明治の一時期『町後神社』と称しましたが、明治二八年現社号に改称しました。
本社は大正六年の拝島の大火の際、類焼の厄に遭い大正七年に本殿を再建、その際に末社の稲荷社・八雲社を本殿内に合祀しました。(「神明神社栞」より)


拝島神明神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 「昭島市史」