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拝島日吉神社|昭島市拝島町の神社

拝島日吉神社の概要

拝島日吉神社は、昭島市拝島町にある神社です。拝島日吉神社は、村上天皇の天暦年間(947-957)創建といわれるといい、拝島山大日堂が再興された天正年間(1573-1592)にその守護社として建立されたともいいます。寛保元年(1741)に「山王大権現」の社号が許されたといい、明治2年には日吉神社と改称したといいます。

拝島日吉神社
拝島日吉神社の概要
社号 日吉神社
祭神 大山咋命、香山戸命、羽山戸命
相殿 素盞乃雄命、大山貴命
境内社 稲荷社、諏訪社、水神社
住所 昭島市拝島町1-10-19
祭日 9月19日
備考 -



拝島日吉神社の由緒

拝島日吉神社は、村上天皇の天暦年間(947-957)創建といわれるといい、拝島山大日堂が再興された天正年間(1573-1592)にその守護社として建立されたともいいます。寛保元年(1741)に「山王大権現」の社号が許されたといい、明治2年には日吉神社と改称したといいます。

境内掲示による拝島日吉神社の由緒

寛保元年(一七四一年)拝島山守護総鎮守として比叡山日吉神社より勧請延暦寺から拝島山山王大権現の称号を賜わる。寛保より明和に至る二十六年の間氏子一日一銭の醵金により神輿祭礼具完備、嘉永五年(一八五二年)現社殿を再建、明治二年社号を日吉神社と改称、今に至る。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による拝島日吉神社の由緒

(拝島村大日堂内)
日吉山王社
同く西の方にあり、五尺社にて上屋四間四方南向なり、神體木の坐像にて長三寸、前に木の鳥居を建、柱間七尺許、村の鎮守にして、例祭は毎年九月十五日なり。
稲荷社。
山王の並びにあり、末廣の稱あり、小祠にして神體は白幣なり。
疱瘡神社
同じ並にあり、小祠にて前に同じ。
浅間社
仁王門の内左の方にあり、小祠にて前に同じ、近来のものなり、社に西の方に、富士峯に、擬して築ける山あり、高さ三丈ばかりなり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による拝島日吉神社の由緒

古伝承によれば、創建は村上天皇の天暦年間(九四七ー五七)といわれている。江戸時代に入って享保十七年(一七三二)に大日堂が改修されているが、普明寺所蔵の『山王祭礼図絵』の奥書によれば、寛保元年(一七四一)に山王社宗源の宣旨を賜い「山王大権現」の社号が許され、ついで嘉永四年(一八五一)九月一日に社殿再建の工事が行われている。延一七三二人の大工が動員され、四百七十余両の総経費を支出して、翌年(一八五二)九月九日に完成したのが現在の社殿である。この時点で山の神に鎮座していた八雲神社を合祀し、その後、明治二年に現社号に改称した。(東京都神社名鑑より)

「昭島市史」による拝島日吉神社の由緒

大日堂の西隣に鎮座するこの神社の創建は不明確であるが、古伝承によれば村上天皇の天暦年間(九四七~九五七)と言われている。江戸時代に入って享保一七(一七三二)年に大日堂が改修されているが、普明寺所蔵の『山王祭礼図絵』の奥書によれば寛保元(一七四一)年に山王社宗源の宣旨を賜い「山王大権現」の社号が許された。次いで嘉永四(一八五一)年九月一日に社殿再建の工事が行われている。延一七三二人の大工が動員され、四七〇余両の総経費を支出して、翌年九月九日に完成したのが現在の社殿である。大山咋命、香山戸命 羽山戸命を祭神としているが、この時点で山の神に鎮座していた八雲神社を合祀し、その後、明治二年現社号に改称した。山王様と呼称され人々の信仰を多く集めていた。
境内の末社には水波能毘売命を祀る水神社、建御中方命を祀る諏訪社、豊受毘売命を祀る稲荷社がある。(「昭島市史」より)


拝島日吉神社所蔵の文化財

  • 日吉神社本殿彫刻並びに拝殿格天井花鳥画七〇面・板壁絵二面及び幣殿杉戸絵四面(市指定有形文化財)
  • 大日堂境域及び日吉神社境域(東京都指定旧跡)

日吉神社本殿彫刻並びに拝殿格天井花鳥画七〇面・板壁絵二面及び幣殿杉戸絵四面

本社殿は安政二年(一八五五年)、当時の拝島村大工伊東紋蔵・臼井久米次郎を棟梁として、再建されたものである。昭和五五年に発見された棟札によると、本殿彫刻は同村の彫師矢部建次郎良長が彫り、拝殿格天井花鳥画および板壁絵・幣殿杉戸絵は、上州(群馬県)館林藩の絵師坪山洞山が描いたものとされる。
いずれも近郷には類をみない傑作として、古くから著名である。(昭島市教育委員会掲示より)

大日堂境域及び日吉神社境域

大日堂の創建は、寺伝などによると天暦六年(九五二)と伝えられている。その後、戦国期、滝山城の築城に際し城の鬼門除けとして現在地に移され、天正年間(一五七三〜一五九一)には滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が娘の眼病を祈願し平癒により堂宇を再建。この時に「大日八坊」といわれた一山八ヶ寺が建立されたと言う。
天正一九年(一五九一)には徳川氏より朱印地一〇石を下賜され、享保一七年(一七三二)には大日堂の位置を石段上の現在地に移し建物を再興している。
一方、日吉神社の創建は不明であるが、天正年間の大日堂再興の折にその守護社として建立されたと言われ、寛保元年(一七四一)に「山王大権現」の称号を許されている。江戸時代は大日堂の管轄下にあったが、明治以後、神仏分離により独立し、社号も日吉神社と改めている。
当該地は古刹として著名な大日堂と天台宗の守護社である日吉神社によって形成された境域で、歴史的建造物を中心に旧態をよく留め、典型的な天台宗一規一画の寺域を構成する都内でも数少ない場所の一つである。(東京都教育委員会掲示より)

拝島日吉神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 「昭島市史」