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瀑布山常保寺|青梅市滝ノ上町にある臨済宗建長寺派寺院

常保寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の常保寺は、瀑布山と号します。常保寺の創建年代等は不詳ながら、当所は真言宗だったといい、吹峰祖陰(嘉吉元年1441年寂)が臨済宗に改めて開山したといいます。常保寺境内には、国学者中原章の墓や猫招き地蔵などが保管されています。

常保寺
常保寺の概要
山号 瀑布山
院号 -
寺号 常保寺
住所 青梅市滝ノ上町1316
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



常保寺の縁起

常保寺の創建年代等は不詳ながら、当所は真言宗だったといい、吹峰祖陰(嘉吉元年1441年寂)が臨済宗に改めて開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による常保寺の縁起

(青梅村)常保寺
境内除地、六畝廿八歩、小名瀧山にあり、瀑布山と號す禅宗或は白瀧山といふ、境内小瀑布あり、名づけて富士向きの瀧といふ、正しく富嶽に向ふを以てなづく、山號の起りも此小瀑あるを以て名づくと云、當郡長淵村玉泉寺末、本尊釋迦を安ず、木の坐像長一尺餘、客殿五間に八間南向、開山吹峯山宗蔭嘉吉元年八月朔日遷化、一念鬱攸の災にかかり縁起を失ひ開基等詳ならず。
赤神社。小社境内にあり、祭神はすなはち石神なるにや。神武天皇なりといへどうけかひがたし、咳嗽を患るもの、社頭にある所の杓子を假て家に置ば必平癒すと云、愈て後一を添て返す、例祭毎年八月朔日、此日大般若を執行なせり。(新編武蔵風土記稿より)

「青梅市史」による常保寺の縁起

常保寺(瀑布山) 
青梅・滝の上にあり、本尊は釈迦如来である。当初金剛寺末の真言宗であったが、甲州(山梨県)の人、吹峰祖陰が来住し改宗して玉泉寺末となったという。吹峰は嘉吉元年(一四四一)の示寂である。明治三年四月十八日堂字炎上、明治四年二十世白竜亥徹が御岳山廃寺正覚寺と世尊寺の古材をもって再建した。当山十一世雪洞玄岩は俳譜をよくし小蓑庵支兀と名乗り知名の俳僧で 「とりとめぬ遊び心や花ぐもり」 の一碑を残している。境内に赤神社「石神社」があり、俗に 「オシャモジ様」といい、眼の神様として親しまれている。境内に芭蕉塚があり、「玉川の水にをぼれそ女郎花」 の句が刻されており、また国学者中原章の墓(市史跡)などもある。なお、山門は昭和四十七年に新築され、本堂の鉄筋化と庫裡の改築は昭和五十五年十月である。(「青梅市史」より)


常保寺所蔵の文化財

  • 中原章墓(青梅市指定史跡)

中原章墓

墓碑の左右裏面の三面に、当寺十一世住職支兀和尚の撰文が刻まれ、次のような意味が漢文で記されている。「先生は出身は明らかではないが、姓は多賀、名は章、字は士文と称し、また号を五柳ともいった。大変博識な人で、何を聞いても答えられないものはないというほどであった。小食にして多飲、専ら冷酒を愛好した。多摩川のほとりに十四年ほど漂泊した後、庵を蒼梅(青梅)市中に結び、慕って集まる人たちにいろいろな事を講じた。晩年は髯をたくわえ、衣服なども意に介せず粗末な服装で通した。虱がたかっても、それをとることもなく、またつぶすでもなかった。周囲の人が心配して新しい衣服を贈っても、それを着替える事すらしなかった」と。
寛政二年(一七九〇)十月一日没したが、手記には次の歌が書かれている。
「同じくは かくて吾が世をふる寺に すみはてぬべき 身ともならばや 章」(青梅市教育委員会掲示より)

常保寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「青梅市史」