聞修院|青梅市黒沢にある曹洞宗寺院

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黒澤山聞修院|黒澤内蔵人開基、青梅七福神の寿老人

聞修院の概要

曹洞宗寺院の聞修院は、黒澤山と号します。聞修院は、黒澤内蔵人を開基、天寧寺3世靈陰宗源を開山とし天正2年(1574)に創建、慶安2年(1649)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。青梅七福神の寿老人です。

聞修院
聞修院の概要
山号 黒澤山
院号 聞修院
寺号 -
住所 青梅市黒沢3-1578
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



聞修院の縁起

聞修院は、黒澤内蔵人を開基、天寧寺3世靈陰宗源を開山とし天正2年(1574)に創建、慶安2年(1649)には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による聞修院の縁起

(黒澤村)聞修院
中央より少く南にあり、御朱印十石を賜ふ、禅宗曹洞派、郡内根ヶ布村天寧寺末、黒澤山と號す、本堂六間に九間半東に向ふ、本尊は彌陀の立像にて厨子に入れり、これ北條氏直が納る所なりと、開基は黒澤内蔵人と云ものにて、甲州より来りしものなりと云、来由は詳にせず、開山は天寧寺の三世靈陰宗源、その略傳【讒語集】にのす曰、
靈陰宗源、諱宗源、嗣法松澗、奥州白川郡人、姓藤金澤氏子也、父仕于相之北條、避亂窮于閭里、兒厭庶民交、誓欲入道林、父母倶歓引兒投于川之長禄、依全和尚、十有四歳而薙髪、俊遇正直絶倫、群童親近奉左右、經一十三霜、後謁松澗於天寧、参随年久、到于末後、足下出星訓首坐遺嘱既了、自開聞修院退居、放捨諸縁、唯終日焚香、客到忘時談話、人稱物外閑人、及絃絶時、預告辭、端然入寂、實天文十一壬寅年六月三日也云々。
鐘楼。門を入て正面にあり、九尺四方。
表門。九尺に三間半。
白山社。稲荷社。
辨天社。境内の鎮守にて、いづれもわづかなる社、社堂に向て左の方にあり。
地蔵堂。本堂の右の方にあり、二間に九尺。(新編武蔵風土記稿より)

「青梅市史」による聞修院の縁起

聞修院(黒沢山)
黒沢(現・黒沢三丁目)にあり、本尊は禅宗では珍しい阿弥陀如来である。天寧寺三世霊隠宗源が開山であり、先哲の 「聞思意修より三摩地に入る」という一節から寺号を選んだといわれる。開基は黒沢村の住人黒沢内蔵人と伝える。本尊は北条氏直の奉納といわれる。慶安二年(一六四九)阿弥陀堂領として十石の朱印状を寄せられている。天保十一年(一八四〇)十一月六日火災にかかり、後、嘉永三年(一八五〇)光雲大竜の代に再建された。境内にあった板碑(市有形文化財)は天文十二年(一五四三)の道立で阿弥陀の線彫りで風化が激しいので、現在は堂内に保管されている。また、七福神の一つである寿老人像が安置されてあり、七福神詣での一寺として市民にも親しまれている。(「青梅市史」より)


聞修院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「青梅市史」