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藤橋山報恩寺|青梅市今寺にある天台宗寺院

報恩寺の概要

天台宗寺院の報恩寺は、藤橋山正覚院と号します。報恩寺は、弘仁13年(822)延暦寺の僧亮海が開創したと伝えられ、元亨2年(1322)承祐の代に、平清綱が再興、天正年間(1573-91)藤橋城主平山越前守重吉が再々興、四院三坊を擁していたといい、天正19年徳川家康より寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

報恩寺
報恩寺の概要
山号 藤橋山
院号 正覚院
寺号 報恩寺
住所 青梅市今寺1-540
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



報恩寺の縁起

報恩寺は、弘仁13年(822)延暦寺の僧亮海が開創したと伝えられ、元亨2年(1322)承祐の代に、平清綱が再興、天正年間(1573-91)藤橋城主平山越前守重吉が再々興、四院三坊を擁していたといい、天正19年徳川家康より寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による報恩寺の縁起

(今寺村)報恩寺
村の中程にあり、天台宗、當郡府中領深大寺の末、藤橋山と稱す、本堂八間に六間半南向、本尊彌陀立身の木像三尺餘、御朱印十石の寺領を附せられ、村の内に今も華厳院と云て三町程の地、泉蔵院跡とて二町程の地有り、皆當寺境内つづきにして、昔は共に門中なりしよし、いつの頃か廢せしことをしらず、其地所は今になを此寺の持なり、又延命寺と云もありしよし、是もいつの比か廢院となりて、今境内に其跡あるのみ。
地蔵堂。三間半四方、境内にあり、延命地蔵を安す、木像長二尺餘立身、傍に六地蔵を刻す、立身の木像にて各長八寸。
山王社。小社境内にあり、後も同じ。
神明社。稲荷社。境内にあり、共に小社。(新編武蔵風土記稿より)

「青梅市史」による報恩寺の縁起

報恩寺(藤橋山正覚院)
今寺(現・今寺一丁目)にあり、本尊は阿弥陀如来である。調布市深大寺の末で、市内唯一の天台の古刹である。弘仁十三年(八二二)延暦寺の僧亮海の開創と伝える。元亨二年(一三二二)承祐の代、平清綱により再興され、殿鐘寄進の記録がある。天正年間(一五七三~九一)藤橋城主・平山越前守重吉により再々興。古くは東暁山と称したが、以後藤橋山と改め、また四院三坊がこのころ建立されたという。華蔵院、延命院、常楽院、泉蔵院、安養坊、常泉坊、大蔵坊がこれでる。文禄五年(慶長元年・一五九六)法印実舜の代、上成木の木崎縫之助、塩野出雲守らの助力により諸堂の整備、修造が行われたことが棟札に残っている。天正十九年(一五九一)寺領十石の朱印状が寄せられた。
寛政九年(一七九七)火災にかかり、文化元年(一八〇四)良円が再建したのが現在の堂字である。境内に地蔵堂があり、延命地蔵が安置してあるが、これは永正九年(一五一二)三田氏宗とその子政定、顕昌により寄進された旨が胎内に記され、また「たのむぞよ長く命を延ぶるてふ仏の御名を身にしたくへて 政定」の短冊が納めてあり、堂像ともに市有形文化財に指定されている。この地蔵堂は昭和四十七年に解体復元工事が行われ、旧観に復した。歴代住僧の境内墓所には数々の青石塔婆があり、うち貞和二年(一三四六)師承祐のため隆承が造立したものと、延文二年(一三五七)隆承の供養に弟子たちが造立した二基は制作も優れ、ともに市有形文化財の指定をうけている。寺域一円も市の史跡になっている。(「青梅市史」より)


報恩寺所蔵の文化財

  • 報恩寺地蔵堂(青梅市指定文化財)
  • 青石塔婆二基(青梅市指定文化財)

報恩寺地蔵堂

報恩寺地蔵堂
この地蔵堂は桃山時代の建築様式と推定され、市内に現存する寺社建築の中でも貴重なものである。昭和四十七年に解体修理工事が行われた際に屋根が茅葺から茅葺型銅板葺に改められた。
堂内には永正九(一五一二)年の銘がある木造延命地蔵が安置され、胎内に当地方の豪族であった勝沼城主三田政定の和歌を墨書した短冊が納められている。たのむぞよながく命をのぶゐてふ
仏の御名を身にしたくへて 政定(青梅市教育委員会掲示より)

報恩寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「青梅市史」