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森下熊野神社|青梅市森下町の神社

森下熊野神社の概要

森下熊野神社は、青梅市森下町にある神社です。森下熊野神社は、徳川家康が関東に入国した際に当地に陣屋が置かれ、代官大久保石見守長安、大野善八郎尊長等が陣屋の鎮守として慶安年間(1648-1652)に祀られたといいま、大正14年には愛宕社・琴平社を合祀したといいます。

森下熊野神社
森下熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊邪那美命、速玉之男命、事解之男命
配祀 天照大御神、豊受比売神
境内社 -
住所 青梅市森下町556
祭日 9月15日
備考 -



森下熊野神社の由緒

森下熊野神社は、徳川家康が関東に入国した際に当地に陣屋が置かれ、代官大久保石見守長安、大野善八郎尊長等が陣屋の鎮守として慶安年間(1648-1652)に祀られたといいま、大正14年には愛宕社・琴平社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による森下熊野神社の由緒

(青梅村)熊野社
社地除三畝二十四歩、一間半に二間の覆屋、陣屋跡の鎮守、村民の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による森下熊野神社の由緒

創立不詳。古老の説によると、慶安年間(一六四八-五二)徳川氏の代官大久保石見守長安、大野善八郎尊長等が居住した陣営地にあったころの鎮守といわれる。明治三年、社号を熊野大神と改め、同二十五年、熊野神社と改称。大正十四年九月、覆舎および拝殿を改築、同時に愛宕・琴平社を合紀した。(東京都神社名鑑より)

「西多摩郡村誌」による森下熊野神社の由緒

熊野大神
雑社。社地縱九間、横八間、縱九間、横一間。面積八十壹坪。元標ヨリ酉戌ノ方、字森下五百五十六番官有地ニアリ。伊弉那美命、速玉之男命、事斛之男命ヲ祭ル。鎮座年月干支未詳ナラズ。近世徳川氏代官陣屋該地ニ在シ頃ノ鎮守ナリト云リ。元熊野大権現ト稱ス。維新ノ際社號改替ス。社地ハ陣屋ノ趾ニテ圍ミ六尺有餘ノ楓樹ニ、囘リ二尺餘リノ藤ノ夤縁タルアリ。其他圍五尺有餘ノ櫻一株、同七尺有餘ノ銀杏樹一株、同三尺五寸有餘ノ樫一株アリ。例祭十一月十三日ナリ。住吉神社祠掌教導職試補宮本鎮兼勤奉仕ス。
愛宕神社
熊野大神ト同覆舎左ノ方ニアリ。火産靈神ヲ祭リ、同殿ニ宇迦之御魂命ヲ祭ル。鎮座期限未詳ナラズ。元愛宕大権現ト稱シ、字森下後背ノ山上ニと印座、維新ノ際該地ニ遷座シ社號改替ス。例祭、本社同日ナリ。
琴平神社
雑社。熊野大神ト同覆舎右ノ方ニアリ。大國主命、崇徳天皇ヲ祭ル。鎮座年月干支未詳ナラズ。琴平大権現ト稱ス。維新ノ際社號改替ス。例祭本社同日ナリ。(「西多摩郡村誌」より)


森下熊野神社所蔵の文化財

  • 森下陣屋跡(青梅市指定旧跡)

森下陣屋跡

天正十八年(一五九〇)に家康が関東に入国してまもなく、八王子に代官所が設置され、初代の代官に大久保石見守長安が任命された。
当地には、その出張所ともいうべき陣屋が青梅宿西端の森下に設けられ、大野善八郎尊長、鈴木孫右衛門らがその任にあたった。青梅陣屋の支配地域は、現在の八高線沿線から多磨川上流域にかけての三田領・加治領・高麗領・毛呂領にわたる範囲で、山の根二万五千石と称した。青梅(森下)陣屋は、延享元年(一七四四)頃に伊奈半左衛門忠達の代で廃止された。
陣屋の敷地面積は、六千三百平方メートル程度と推定されるが、現在は、陣屋の敷地の鎮守と伝えられる熊野神社が祀られている。
江戸時代の青梅宿の成立と繁栄が偲ばれる貴重な旧跡である。(青梅市教育委員会掲示より)

森下熊野神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 西多摩郡村誌