猫の足あとによる青梅市の寺院、神社など青梅市の寺社案内 猫の足あとによる青梅市の寺院、神社など青梅市の寺社案内
猫の足あと

野上春日神社|青梅市野上町の神社

野上春日神社の概要

野上春日神社は、青梅市野上町にある神社です。野上春日神社の創建年代等は不詳ながら、春日大明神と称し野上・吹上・師岡・大門四村の鎮守だったといい、慶安2年には江戸幕府より社領2石の御朱印状を拝領、明治6年村社に列格したといいます。

野上春日神社
野上春日神社の概要
社号 春日神社
祭神 武甕槌神、経津主神、天児屋根神、姫神
相殿 -
境内社 稲荷神社、八雲神社、厳島神社、白山神社
住所 青梅市野上町1-38
祭日 9月19日
備考 -



野上春日神社の由緒

野上春日神社の創建年代等は不詳ながら、春日大明神と称し野上・吹上・師岡・大門四村の鎮守だったといい、慶安2年には江戸幕府より社領2石の御朱印状を拝領、明治6年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による野上春日神社の由緒

(野上村)春日明神社
一間四方餘の小社なり、下師岡村堺にあり、野上・吹上・師岡・大門四村の鎮守なり、寛永十五年の棟札あり、御朱印二石の社領を附せらる、社前に鳥居あり、例祭毎年九月十九日。
末社。辨天社、小社。
別當神照寺
眞言新義、當郡鹽船村鹽船寺の末、本堂五間半四方、本尊十一面観音を安す、立身の木像長七寸許。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による野上春日神社の由緒

創建年代不詳。もと春日大明神と称した。旧別当神照寺焼失のさい社記焼失。慶安元年(一六四八)十一月社殿を再興し、翌二年徳川氏より社領二石を受く。享保十四年(一七二九)社殿造立。寛延二年(一七四九)社殿修復、文化二年(一八〇五)社殿重修。明治三年別当神照寺を廃して神官を置き、社名を解消。野上、大門、師岡、吹上の四ヶ村を氏子として、今日にいたる。(東京都神社名鑑より)

「青梅市史」による野上春日神社の由緒

春日神社
野上(現・野上一丁目)に鎮座する。祭神は武甕槌神、経津主神、天児屋根神、姫神で、例祭は十月十日である。創建は不明。往古は春田大明神と称し、別当は神照寺であった。慶安元年(一六四八)に社殿を再興し、翌二年、徳川氏より社領二石を受ける。享保十四年(一七二九)、寛延二年(一七四九)、文化二年(一八〇五)に社殿の修復を重ね、明治三年、別当制を廃し、神官の管理となり社名を改称した。明治六年に村社に列格し、野上、大門、師岡、吹上の四か村を氏子とする。本殿は都の有形文化財に指定され、また獅子舞は市の無形民俗文化財となっている。境内面積は八二五坪(二、七二三平方メートル)である。(「青梅市史」より)


野上春日神社所蔵の文化財

  • 春日神社本殿一棟
  • 春日神社獅子舞

春日神社本殿一棟

慶安元年(一六四八)多摩郡下師岡村の名主吉野太郎右衛門と同郡吹上村の名主塩野喜右衛門の発願により、大工吉沢藤兵衛が建立したものである。
形式および構造は一間社流れ造り、瓦棒銅板葺きで、身舎の規模は桁行柱真々二・三六三メートル、梁行柱真々二・一一五メートルとなっている。
当本殿は、多摩地域における数少ない江戸初期の遺構で、この春日神社が立地していた古村地帯における中世からの歴史的な技術や美意識を伝える貴重な神社建築である。また一間社としては規模も大きく、建築的な質の高さをうかがうことができる。(東京都教育委員会掲示より)

野上春日神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 青梅市史