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観音院|武蔵野市境南町にある曹洞宗寺院

観音院の概要

曹洞宗寺院の観音院は、榮見山と号します。観音院は、松江藩主松平出羽守直政(1601-1666)が屋敷西方に観音堂として創建、のち一寺となったといいます。来迎阿弥陀如来像は武蔵野市有形文化財に指定されています。

観音院
観音院の概要
山号 榮見山
院号 観音院
寺号 -
宗派 曹洞宗
住所 武蔵野市境南町2-4-8
葬儀・墓地 -
備考 -



観音院の縁起

観音院は、松江藩主松平出羽守直政(1601-1666)が屋敷西方に観音堂として創建、のち一寺となったといいます。

新編武蔵風土記稿による観音院の縁起

(境村)観音院
年貢地、凡三段、小名西原、禅宗曹洞派、江戸四ツ谷橋立国寺の末なり。本堂回禄にかかりて、今は本尊もなく、四間に六間の仮屋を営み置。開山開基詳ならず。
観音堂。東の方二あり堂は三間四方木の立像一尺許なる正観音を安ず。(新編武蔵風土記稿より)


観音院所蔵の文化財

  • 観音院の来迎阿弥陀如来像(武蔵野市指定有形文化財)

観音院の来迎阿弥陀如来像

この観音院の来迎阿弥陀如来像は、上保谷村(旧保谷市)から移り住み、松平家(松江藩主の松平出羽守直政<1601-1666>、祖父は徳川家康、父は家康三男結城秀康)の下屋敷跡地を開拓して出雲新田(境新田、のちの境村)を開いた保谷三右衛門(下田)の追善のために、天和2年(1682)に造立されたものである。観音院は、下屋敷内西方に直政によって建立された観音堂とこの墓所から幕府公認の村の寺院として発展しており、境新田村の開発のいわれを語る重要な資料である。
美術的にみても螺髪・肉髯の単純化、尊顔の素朴な微笑、印相の表情の巧みな表現等の彫法は、本市所在の石仏としては最も古く、代表的な美しさを持っている。(武蔵野市教育委員会掲示より)


観音院の周辺図


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参考資料
  • 新編武蔵風土記稿