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金森山宗保院|町田市原町田にある曹洞宗寺院

宗保院の概要

曹洞宗寺院の宗保院は、金森山と号します。宗保院は、大河伊与(元亀元年1570年没、光雪院安心宗保居士)が開基となり、天文年間(1532-1555)に創建、吸江呑恕和尚(天正18年1590年寂)が開山したといいます。慶安2年には寺領7石3斗の御朱印状を拝領したといいます。武相卯歳観音霊場四十八ヶ所39番、原町田七福神の布袋尊です。

宗保院
宗保院の概要
山号 金森山
院号 宗保院
寺号 -
住所 町田市原町田1-8-13
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



宗保院の縁起

宗保院は、大河伊与(元亀元年1570年没、光雪院安心宗保居士)が開基となり、天文年間(1532-1555)に創建、吸江呑恕和尚(天正18年1590年寂)が開山したといいます。慶安2年には寺領7石3斗の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による宗保院の縁起

(原町田村)宗保院
字下にあり、曹洞宗、相州大住郡日向村石雲寺の末、金森山と號す、開山は吸江和尚天正十八年四月十八年示寂す、慶安二年八月廿四日寺領の御朱印を拝領す、その文に、同村の内にて七石三斗餘、任先規御寄附云々、今に至るまでその地を領せり、この境内もその寺領の内にて定まれるつほかすなし。
惣門。柱間二間、金森山の三字を扁額す。月舟の書なり。
門。大さ惣門と同じ、宗保院の三字を扁す、之も同書なり。
本堂。十間に五間半東に向へり。
禅堂。本堂に向て左にあり、七間に四間。
鐘楼。本堂に向て右にあり、二間四方、鐘の径二尺二寸、高さ三尺許、銘文左にのす。(銘文省略)
白山社。小社なり、境内鎮守本堂の前に在。(新編武蔵風土記稿より)

「町田市史」による宗保院の縁起

宗保院(原町田)
所在地 町田市原町田一丁目(俗称、宗保院前の町というので寺町とよぶ)。
宗派 曹洞宗。本山は相模国大住郡日向村雨降山石雲寺末であったが、今は鶴見総持寺末。
山寺号 金森山宗保院。
開山 吸江呑恕和尚(天正一八年四月一八日寂)。寺伝によると天文三年または一三年開山、今は天文一一年八月という。
開基 大河伊与(元亀元年四月四日歿、光雪院安心宗保居士)。宗保院の寺号はこの法名より名づけた。伊与の妻自立院貞安大姉(天正三年五月歿)は徳川家康の寵臣高木善次郎清秀妹、金森村地頭高木伊勢守守久叔母。
朱印 七石三斗。
本尊 千手観音。立像、高二尺。
本堂 間口一〇間奥行五間半の『風土起稿』所載の本堂は明治二年焼失。明治四年小山村名主萩原四郎兵衛居宅を移築、間口一二間、奥行七間総欅造り、また昭和三九年一二月一日夜焼失。昭和四七年九月一日落慶のもの。鉄筋コンクリート造り。向拝、地下室等合わせ一〇六坪一合。入母屋造。
庫裡 一〇六坪、二階木造総檜にて新築した。
鐘楼 二間四方。『武蔵風土記稿』記載のもの。梵鐘。高五尺四寸、口径三尺三寸、厚さ三寸三分、重量三三〇貫。銈に本尊南無千手観世音菩薩と、鶴見総持寺渡辺宗禅師の銘を刻。この梵鐘は、昭和一九年太平洋戦供出後、昭和二七年いち早く再建のもので、前の梵鐘には左の鐘銘があった。
武州多磨郡金森山宗保院住持竜現 募衆縁 改鋳洪鐘
竜吟雲起 虎嘯風旋 匪啻竜虎 仏事亦然 緇唱自和 鋳鐘以懸 暮撃朝和
撃震大千 破煩悩夢 覚性頓円 宗乗長保 利益無辺
禅定月舟撰
于時天和竜集閼逢困敦華朝吉祥日
秋葉堂 五間四方、三尺の回り廊下あり。『風土記稿』に「白山社、境内鎮守、本堂前にあり」とあるのがこれか。位置は相当する。
地蔵堂 明治四一年九月横浜線開通まで、原町田三丁目と二丁目境にあった総門を現地に移建したもの。地人は大門とよぶ。間口二間、奥行三間、冠木門。六地蔵ほか、子育・イボ取りなど地蔵一〇体を納む。(「町田市史」より)


宗保院の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「町田市史」