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祐照庵|町田市相原町にある臨済宗妙心寺派寺院

祐照庵の概要

臨済宗妙心寺派寺院の祐照庵は、大戸観音堂として著名な庵室です。祐照庵は、大戸観音堂を護る別当として慶長元年(1597)に創建、明治初年に焼失し、八王子市散田太子堂の堂宇を移築したといいます。大戸観音堂は、武相卯歳観音霊場四十八ヶ所24番です。

祐照庵
祐照庵の概要
山号 -
院号 -
寺号 祐照庵
住所 町田市相原町4643
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



祐照庵の縁起

祐照庵は、大戸観音堂を護る別当として慶長元年(1597)に創建、明治初年に焼失し、八王子市散田太子堂の堂宇を移築したといいます。

新編武蔵風土記稿による祐照庵の縁起

(上相原村)観音堂
除地、陸田六畝一段二十二歩、字瀧ノ前にあり、三間四方、南向、本尊正観音坐像にて、長一尺ばかり、弘法大師の作なりと云傳ふれども詳ならず、また七観音の像を安す。
菴。観音堂の側にあり、祐照菴といふ、山田村雲津院の持。
鐘樓。堂の正面にあり、九尺四方、享保年中鑄造の鐘なりと云。
六角堂。堂の西南にあり、石の六地蔵を安ず。(新編武蔵風土記稿より)

「町田市史」による祐照庵の縁起

大戸観音堂(相原町)
所在地 町田市相原町大戸字滝ノ前。
宗派 臨済宗。
山寺号 なし。八王子市山田、広園寺末。「多摩郡相原村誌」に「陰戸観音、大戸中央にあり。阪東三十三ケ所の札所」とあるから陰戸観音ともよんだようである。
本堂 正面三間、「太子堂」の額をかかげ、上部狐格子。横三間半、三方欅丸柱 にて三尺廊あり。一間の向拝をつく。寄棟御堂造り明治初年焼失のため、八王子市散田太子堂を移築して今日に至った。
本尊『風土記稿』に「本尊正観音坐像にて長一尺ばかり、弘法大師の作なりと云伝ふれど」とあるが、現在像は石像にて付近の田圃より出土したという。『風土記稿』所載像はおそらく明治初年の火災で焼失か。
裕照庵 相原村誌に「慶長元丙申年三月十五日建立す。四間四面」とあり、また『風土記稿』には「観音堂の側にあり」としてあるから、これは僧庵であったろう。
鐘楼 山門と合作の鐘楼門で九尺四面、総欅造り、亜鉛葺。階下が門、階上鐘楼で、梵鐘を吊す。昭和四三年新鋳のもので、観音妙智力、能救世間苦。南無聖観世音菩薩の鐘銘と、タかすみ立つや大戸の鐘の音に妻木を負ひて帰る里人の、八王子八景の短歌とを刻んである。けだし、大戸は大木戸の謂で、北条氏照八王子城を築いたころは、城の第一の木戸がここにあったものと推定される。すなわち、「八王子八景」は氏照時代に定められたとの伝承でも明らかだろう。
庫裡 いまは上大戸会館に使用され住職なし。六間半に三間半の木造瓦葺。
六角堂 堂の西南に石の六地蔵を安置。この堂のあったことも『風土記稿』に記されるが今はない。境内に寛文一〇年(一六七〇)の地蔵庚申があって、これは町田市三輪の寛文九年家型石祠に次ぐ古い庚申塔である。(「町田市史」より)


祐照庵所蔵の文化財

  • 大戸の地名(町田の民話と伝承)

大戸の地名

大戸は元禄三年(一六九〇)から多磨郡横山之庄「上相原村」が村名であったが土地の人は通称「大戸」と呼び、通称の方が近郷に知られていたので大戸の呼び名は、上相原村の屋号とも言える。
「大戸踏切八時半 貨車がすぎます 走ります」と誰が読んだか現在の町田街道は、そのころ大戸往還と呼ばれたのである。
この街道が、古くは鶴間から分岐して秩父、高崎方面に向かう「鎌倉街道山之道」と言われ、この場所から山路の入口である、また横山之庄の相州口として大木戸番所が置かれたと伝えられ、大木戸をいつしか「大戸」と呼ぶようになった。
この番所のかたわらに「了心庵」と言う草庵があり、後に八王子市山田の雲津院の末寺で「祐照庵」と呼ばれた。境内に観音堂が創立されたのが慶長元年(一五九六)で当時から大戸の観音様と呼ばれ、門前には旅人宿や居酒屋が立ち並んで賑わい、鐘楼は八王子八景の景勝の地として「大戸の晩鐘」とうたわれている。
大戸の晩鐘
夕かすみ たつや大戸の 鐘の音に 妻木を負ふて 帰る里人(町田市教育委員会掲示より)

祐照庵の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「町田市史」