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籌國山長福寺|町田市相原町にある曹洞宗寺院

長福寺の概要

曹洞宗寺院の長福寺は、籌國山と号します。長福寺の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「除地、畑合二段八畝二十歩、字坂下にあり、禅宗臨済派、京都妙心寺の末なり、本堂五間に三間本尊釋迦木の坐像にて、長一尺ばかりなるを安置せり」と記載されて、現本尊は、武田信玄小田原侵入の際に焼失を免れた観音像だといいます。

長福寺
長福寺の概要
山号 籌國山
院号 -
寺号 長福寺
住所 町田市相原町2109
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長福寺の縁起

長福寺は、籌山賢寮(寛永8年1631年寂)が開山となり、相原町寺谷戸に創建、天保13年(1842)に当地へ移転して隆師が中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起

(中相原村)長福寺
字丸山にあり、禅宗曹洞派、郡中小山田村大泉寺末、籌國山と號す、本堂九間半に七間半、南向、本尊釋迦木の坐像、長一尺許、開山籌山賢察、寛永八年十月十一日示寂す、此寺の境内は末に出せり、観音料御朱印の地の内なり。(新編武蔵風土記稿より)

「町田市史」による長福寺の縁起

長福寺(相原町)
所在地 町田市相原町字丸山。
宗派 曹洞宗。町田市小山田大泉寺末。
山寺号 籌国山長福寺。
開山 籌山賢寮。寛永八年(一六三一)一〇月一一日寂。
本堂 寄棟亜鉛葺木造総欅建築。間口九間半、奥行七間半。拝仏の間の角天井に江戸名所図絵の筆者長谷川雪堤画花丸の絵一六あり、天保一三年(一八四二)とあるので、本堂もまたこの年落成したものとみられる。
庫裡 玄関入口二間、式台玄関あり。三間の間口に奥行四間半。本堂と同時代建築である。
客殿 昭和四〇年建築、建坪不明。
籌福堂 間口二間、奥行二間、鉄筋コンクリート御堂造り。光明庵の薬師、伽陵庵の阿弥陀等を合祀して、昭和四八年新築した。
鐘楼 これも天保の建築で、九尺四方、欅タルキ造り。梵鐘は太平洋戦に供出して以来いまだない。
山門 総欅、粽柱。入口二間、奥行二間、門扉あり。すベてに舞楽の彫刻あり。冠木門で屋根亜鉛葺。
文珠堂 門外高地にあり。入母屋、銅屋根。総欅造り。九尺四面で唐破風のある一間の向拝をつく。柱に上り竜、下り竜の彫刻がある。また三尺の回廊四方をめぐっている。
寺歴 この寺は、もと相原町寺谷戸にあったが、天保一三年当山一二世中興隆師代に現地に移転。名主青木易直の異常なる熱意によって、現本堂・庫裡・山門・文珠堂等が新築されていまに伝えられた。そして、その建築の秀れていることを確かめられ、昭和四八年三月八日、本堂・山門・文珠堂(昭和四九年一月修復)を町田市は市の重宝として指定した。
境内 起伏に富み、広大にして、風光明媚、子持羊歯など特殊植物などもあって貴重。(「町田市史」より)


長福寺所蔵の文化財

  • 長福寺山門(町田市指定有形文化財)
  • 長福寺本堂天井花丸絵画(町田市指定有形文化財)
  • 長福寺文殊堂(町田市指定有形文化財)

長福寺山門

山門は、長福寺一三性弁隆和尚の文久二年(一八六二)に着工し、一四世舜牛和尚の代に落成と記録されている。切妻造りの四ツ足門。用材は欅材を使用し、彫刻も巧みで特に唐戸上部の蟇股は斜めに雨を呼ぶ雲竜を刻んで雄大である。唐戸には竹林の七賢人および楽人、舞人、酒肴を持つ二童子を両扉に配して巧緻であるほか、虹梁・木鼻などすべてに多彩な瑞鳥や模様を彫刻して当時の技術を残している。(町田市教育委員会掲示より)

長福寺本堂天井花丸絵画

長福寺本堂内陣(十五畳敷)の格天井に花卉図三十五枚が残されている。格天井の桟で区切られたほぼ方形の枠内(各楯七四x横七〇センチ前後)に大きく門相部をとり、門相中には各一種づつ花を描き、三十五枚に三十五種の草花を配している。
「すすきに虹花図」に款記があり「天保十三壬虎仲秋 長谷川雪堤図」とあり、天保十三年(一八四二)の秋に長谷川雪堤が描いたものであることがわかる。
長谷川雪堤(一八一九~一八八二)は、名を宗一といい、雪堤の他、梅虹、松斎とも号した。「江戸名所図会」「東都歳時記」の挿図を描いて当時から名声のあった長谷川雪旦を父とし、画を父に学んでいる。(町田市教育委員会掲示より)

長福寺文殊堂

文殊菩薩は、大乗仏教の代表的な菩薩で、普賢菩薩と共に釈迦牟尼仏の脇侍としてその左側に侍され、普賢菩薩が慈悲を表すのに対し、文殊菩薩は智慧を象徴しています。
この文殊堂に納められているご本尊は、高さ一尺五寸(約四五センチ)の木彫立像で黄金色を施され、青い獅子に乗った形で造られています。
建立は、寺伝によれば、文久二年(一八六二年)で、山門の築造と同年です。設計・監督は、優雅かつ精緻を極めているとして知られる芝増上寺の山門を手がけ、当寺の本堂の改築にも携わった下相原村の青木勘次郎易直とされています。
建物の構えは、入母屋総欅(ケヤキ)造りの、九尺四方四面の小堂で、軒は唐破風のある一間の向拝をつけ、三尺巾の回廊が四面を廻っています。前柱には、勢いのある上り龍、下り龍が力強く彫られ、また、全ての組み物や柱の台輪にまで唐草、浪に千鳥菊花の透かし彫りが配されるなど巧緻な彫刻が数多く施されています。小堂ながら往時の優れた彫刻技法を今に伝える華麗な趣をもる遺構であります。
そしてまた、格天井花丸は、当時の金井村の絵師、神蔵花嶽の筆により優雅に描かれています。(境内石碑より)

長福寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「町田市史」