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飯守神社|町田市真光寺町の神社

飯守神社の概要

飯守神社は、町田市真光寺町にある神社です。飯守神社は、領主飯田次郎右衛門高家・観泉寺法印俊誉が飯森明神と称して慶安3年(1650)に創建、文化7年(1810)に遷座再建、明治四年飯守神社と改めたといいます。大正2年境内社の神武天皇神明社、諏訪神社、金毘羅神社、秋葉大権現、道了大権現、八雲神社、八坂神社、日吉神社、東照宮を合祀したといいます。なお、社号の「いいもり」は、武蔵国総社大国魂神社の例大祭時の献饌之儀に御食を司って居たことによるといいます。

飯守神社
飯守神社の概要
社号 飯守神社
祭神 興津彦命
相殿 保食神
境内社 武蔵御嶽神社
住所 町田市真光寺町189
祭日 9月18日
備考 -



飯守神社の由緒

飯守神社は、領主飯田次郎右衛門高家・観泉寺法印俊誉が飯森明神と称して慶安3年(1650)に創建、文化7年(1810)に遷座再建、明治四年飯守神社と改めたといいます。大正2年境内社の神武天皇神明社、諏訪神社、金毘羅神社、秋葉大権現、道了大権現、八雲神社、八坂神社、日吉神社、東照宮を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による飯守神社の由緒

(眞光寺村)飯森社
除地、高二斗五升、村の中央にあり、その邊の鎮守なり、飯森明神と號す、祭神及び鎮座の年代を傳へず、社地松杉おひしげりて、古色に見ゆ、神體は白幣なり、本社に覆屋を設く、二間半に二間、前に拝殿あり、四間に九尺、石階十級餘を下りて鳥居をたつ、すべて巽向なり、例祭は八月十八日にて、村の持。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による飯守神社の由緒

慶安三年(一六五〇)三月、領主飯田次郎右衛門高家が別当観泉寺法印俊誉により創建し、飯森明神と称した。文化七年(一八一〇)十一月領主岡部蔵之助、合領主漆戸兵三郎が観泉寺十三世英衛により再建した。除地高二斗四升の寄進を受けたのである、現社殿は昭和四十一年九月十八日の造営である。(東京都神社名鑑より)

「町田市史」による飯守神社の由緒

飯守神社(真光寺)
慶安三年(一六五〇)三月観泉寺の法印俊誉により創立したもので飯森明神と称していた。文化七年(一八一〇)一一月に社殿の再建を行ない、除地高二斗四升の寄進を受けたのである。末社に神武天皇神明社、諏訪社、八坂神社、金刀比羅社、日吉社が奉斎してある。
一年間の豊作祈願の「風まつり」の神事を八月二八日に行なっている。大正初期まであった獅子舞の行事は今はなくなってしまっている。
現在の社殿は昭和四一年九月一八日に建立したものである。祭神は興津彦命を奉斎してある。
境内坪数は五反九畝一九歩で、市内神社の中では広大である。
例祭日は、毎年九月一八日である。
町田市真光寺町一八九番地に鎮座している。(「町田市史」より)

境内掲示による飯守神社の由緒

慶安三年(一六五〇)三月領主飯田次郎右衛門高家・観泉寺悩山門龍等によって遷宮され飯盛明神と称した。又鳥居下から古墳時代前期の祭祀用土器が出土し当地が昔からの神域であった事が窺われます。
文化七年(一八一〇)遷座の後、新編武蔵風土記は「本社に覆屋あり」と述べております。
以前から当社は、武蔵の総社「六所宮」(現大国魂神社)と関わり深く、総社例大祭時の献饌之儀に御食を司って居たことから社名「いいもり」が起こったと伝えられます。
明治四年飯守神社と改められ、大正二年境内末社が合祀され(境内東地区に跡地が残ります)昭和二十九年宗教法人となりました。(境内掲示より)


飯守神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 町田市史