能ヶ谷神社|町田市能ヶ谷の神社

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

能ヶ谷神社|東照宮と称して正保年間に創建

能ヶ谷神社の概要

能ヶ谷神社は、町田市能ヶ谷にある神社です。能ヶ谷神社は、東照宮と称して正保年間(1644-1647)に創建、明治10年には村社に列格したといいます。大正3年に谷戸の住吉神社(文治六年創立)下能ヶ谷の天照大神社(応永二年創立)上能ヶ谷の表谷神社(文明九年創立)並び神明社(創立年代不詳)を合祀、能ヶ谷神社と改称したといいます。

能ヶ谷神社
能ヶ谷神社の概要
社号 能ヶ谷神社
祭神 徳川家康公、天照大神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、大山咋神
相殿 -
境内社 -
住所 町田市能ヶ谷6-20-1
祭日 9月17日
備考 -



能ヶ谷神社の由緒

能ヶ谷神社は、東照宮と称して正保年間(1644-1647)に創建、明治10年には村社に列格したといいます。大正3年に谷戸の住吉神社(文治六年創立)下能ヶ谷の天照大神社(応永二年創立)上能ヶ谷の表谷神社(文明九年創立)並び神明社(創立年代不詳)を合祀、能ヶ谷神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による能ヶ谷神社の由緒

(能ケ谷村)
十六所神社
社地、八畝、小名上にあり、當所の鎮守なり、白幣を神體とす、わづかなる社にて、二間四方ばかりの覆屋あり、南向なり、前に鳥居をたつ、祭神及び鎮座の年代を傳へず、村民持。
住吉社
社地、三百坪、小名打越にあり、其邊の鎮守なり、これも小社にて覆屋あり、西に向へり、神體は衣冠して笏を持る状なり、長八寸ばかり、これも勧請の年代をしらず、蓮清寺の持
太神宮
社地、六畝、小名宮下にあり、その所の鎮守なり、勧請の年代を傳へず、これも小社にて覆屋を設く、神體は塔を頂き、手に瓊鋒を杖つき給ふ像なり、長五寸ばかり、妙行寺の持なり。
末社。稲荷祠、神體は白幣なり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による能ヶ谷神社の由緒

創建の年代は不詳。大正三年十一月二十七日に能ヶ谷字四号の天照大神、字六号の神明社、字七号の住吉神社、字九号の表谷神社を合祀して社殿を造営し能ヶ谷神社とした。昭和七年十月十二日社殿を再建した。(東京都神社名鑑より)

「町田市史」による能ヶ谷神社の由緒

創立の年代は明らかでない。明治八年(一八七五)ごろ「東照宮」と称していた。明治一〇年六月に村社に列せられたのである。大正三年(一九一四)一一月二七日、九号地の表谷神社、四号地の天照大神、六号地の神明社、七号地の住吉神社の四社を合せ祀り、社名を能ヶ谷神社と変更したのである。現在の社殿は、昭和六年(一九三一)四月の造営になるものである。
祭神は徳川家康公、大日霊尊、底筒男命、大山咋命、天照大神を奉斎したのである。
例祭日は毎年九月一七日である。
境内坪数七一三坪。町田市能ケ谷町八三九番地に鎮座している。(「町田市史」より)

境内掲示による能ヶ谷神社の由緒

当社はもと東照宮とよばれ正保年間(一六四四〜一六四七)の創建です。安永元年(一八五四)四月に再建されています。明治十年六月には村社に列せられました。大正三年四月谷戸の住吉神社(文治六年創立)下能ヶ谷の天照大神社(応永二年創立)上能ヶ谷の表谷神社(文明九年創立)並び神明社(創立年代不詳)の四社を以前からの東照宮に合祀し大正三年社名を能ヶ谷神社といたしました。現社殿は昭和六〜七年の再建によるものです。
御祭神は徳川家康公、天照大神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、大山咋神です。(境内掲示より)


能ヶ谷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 町田市史