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森野住吉神社|町田市森野の神社

森野住吉神社の概要

森野住吉神社は、町田市森野にある神社です。森野住吉神社は、当地の三代目領主須藤太郎左衛門盛忠公が願主となり寛永17年(1640)に村の鎮守として創建したといいます。神仏分離令により明治4年妙延寺境内より当地へ遷座、昭和50年山王社(旧鎮座地:森野2-12)を遷座したといいます。

森野住吉神社
森野住吉神社の概要
社号 住吉神社
祭神 表筒男命、中筒男命、底筒男命
相殿 -
境内社 山王社
住所 町田市森野5-10-2
祭日 9月23日
備考 -



森野住吉神社の由緒

森野住吉神社は、当地の三代目領主須藤太郎左衛門盛忠公が願主となり寛永17年(1640)に村の鎮守として創建したといいます。神仏分離令により明治4年妙延寺境内より当地へ遷座、昭和50年山王社(旧鎮座地:森野2-12)を遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による森野住吉神社の由緒

(森野村)
住吉社
除地、二畝二十歩、これも上にあり、村の鎮守なり、勧請の年代をしらず、社前に鳥居をたつ、例祭は九月九日、妙延寺持(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による森野住吉神社の由緒

寛永十七年(一六四〇)九月、三代目領主須藤太郎左衛門盛忠が、祖先菩提武運長久のため名主渋谷由右衛門尉重忠および氏子により摂津国住吉郡の住吉大社を勧請し創建したのである。宝永七年(一七一〇)十二月、五代目の領主須藤権之助盛連と名主渋谷由右衛門尉重宗と氏子により再建した。嘉永三年(一八五〇)九月、十一代領主須藤左衛門盛章、名主渋谷善重郎重栄の時神像をつくり社殿を造営し、別当妙延寺三十七代の日曠上人により遷座したのである。現在の社殿は昭和四十四年の造営である。(東京都神社名鑑より)

「町田市史」による森野住吉神社の由緒

住吉神社(森野)
寛永一七年(一六四〇)九月の創立である。当時の領主で三代目の須藤太郎左衛門盛忠公が願主となって建立したことが社宝の棟札にあり、五代目権之助盛連公の時、宝永七年(一七一〇)一二月に再建している。また、先祖菩提のためとして嘉永三年(一八五〇)九月、一一代目の惣左衛門盛章公が長八寸(二五センチメートルほど)の立像尊像とともに再建したのである。
昭和一〇年(一九三五)ごろまで神事として鎮花祭があった。
祭神は表筒男命を奉斎してある。
例祭日は、毎年九月二三日である。享和四年(文化元年と改元、一八〇四)、天保一四年(一八四三)ごろは九月九日で、明治一二年のころは八月二三日であった。
境内坪数一反四畝九歩。町田市森野田九一番地に鎮座している。
◎鎮花祭(花しずめまつり)-やすらいまつり……木の花を稲の花になぞらえて豊作をまねき虫送りをする農耕儀礼である。悪疫をふせぐ祭りでもある。当神社も水に関係のある社であるためにこの神事があったのである。(「町田市史」より)

境内掲示による森野住吉神社の由緒

寛永十七年(一六四〇)九月武州多摩郡本森村鎮守として勧請創建されました。宝永七年(一七一〇)一二月に再建されています。嘉永三年(一八五〇)九月には御厨子入尊像(現存)が造立され内宮外殿が建替えられました。慶応二年(一八六六)十一月石造鳥居が建立され、明治四年(一八七一)四月に妙延寺境内から現在地に御遷座されました。(境内掲示より)

栞による森野住吉神社の由緒

寛永十七年(一六四〇)九月、当地の三代目領主須藤太郎左衛門盛忠公が願主となり氏子中により、武州多磨郡本森村鎮守として勧請創建されました。宝永七年(一七一〇)十二月には五代目須藤権之助盛連公が願主となって氏子中で再建されています。さらに嘉永三年(一八五〇)九月には十一代目須藤惣左衛門盛章公、氏子中により御厨子入り尊像(現存)が造立され内宮外殿が建替えられました。慶応二年(一八六六)十一月石造鳥居が建立され、明治四年(一八七一)四月に妙延寺境内から現在地に御遷座されました。(栞より)


森野住吉神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 町田市史