猫の足あとによる町田市の寺院、神社など町田市の寺社案内 猫の足あとによる町田市の寺院、神社など町田市の寺社案内
猫の足あと

相原諏訪神社|町田市相原町の神社

相原諏訪神社の概要

相原諏訪神社は、町田市相原町にある神社です。相原諏訪神社は、別当高岳坊長温が氏子と共に信州(長野県)下諏訪大社を丸山の地に勧請して養和元年(1181年)に創建、相原山大明神と称していたといいます。往古は相原全体の鎮守だったといいます。明治44年に七国の神明社、大谷神明社、橋本御嶽社、根岸日枝神社を、大正2年には境山王社、橋本稲荷社、曜田疱瘡社を合祀したといいます。

相原諏訪神社
相原諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命、天之御中主命、安閑天皇、大己貴命、少彦名命、宇迦之魂命
相殿 -
境内社 -
住所 町田市相原町1743
祭日 8月20日
備考 -



相原諏訪神社の由緒

相原諏訪神社は、別当高岳坊長温が氏子と共に信州(長野県)下諏訪大社を丸山の地に勧請して養和元年(1181年)に創建、相原山大明神と称していたといいます。往古は相原全体の鎮守だったといいます。明治44年に七国の神明社、大谷神明社、橋本御嶽社、根岸日枝神社を、大正2年には境山王社、橋本稲荷社、曜田疱瘡社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による相原諏訪神社の由緒

(中相原村)
諏訪明神社
除地、廿間に三十間、字丸山にあり、入口にあり石階二十四級を設く、小社にて覆屋あり、三間に三間半、鳥居一基を立、柱間二間、古は上中下相原村の鎮守なりしが、今は字八段丸山のみ鎮守とす、例祭七月廿日、村内本山修験高岳院持。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による相原諏訪神社の由緒

養和元年(一一八一)三月別当高岳坊長温が、氏子と共に信州下諏訪大社を丸山の地に勧請し、相原山大明神と称した。寛文七年(一六六七)に三反歩の除地、また寛文十一年(一六七一)検地のさい、社領一石五斗を受けた。元和三年(一六一七)高岳坊長厳により再建し、享和二年(一八〇二)十一月再建した。明治四十四年十二月二十三日、七国の神明社、大谷神明社、橋本御嶽社、根岸日枝神社を合祀し、大正二年十二月境山王社、橋本稲荷社、曜田疱瘡社の合祀を行なった。(東京都神社名鑑より)

「町田市史」による相原諏訪神社の由緒

諏訪神社(相原)
信州下諏訪大明神を養和元年(一一八一)三月二三日に別当高岳坊長温が、氏子とともに丸山の現在地に相原山大明神として勧請したものである。寛文七年(一六六七)検地の時三反歩の除地があった。寛文一一年の検地の際、社領一五斗を受けたのである。元和元年(一六一五)ごろ、山火事のため社殿焼失したのであるが、享和二年(一八〇二)一一月社殿の再建をおこなっている。
明治四四年(一九一一)一二月二三日には大谷戸の神明社、七国の神明社、開都の御嶽社(旧三社神社)、根岸の日枝神社などを合わせ奉遷し、さらに大正二年(一九一三)一〇月一八日には境の山王社・稲荷社、陽田の疱瘡社を合祀したのである。社宝の鰐口に元文五年(一七四〇)の銘があり、仙光院よりの奉納である。例祭には市無形文化財の丸山の獅子舞が社前で奉納される。
祭神は建御名方命、天之御中主命、安閑天皇、大己貴命、少彦名命、宇迦之魂命を奉斎してある。
境内坪数九九二坪余り。例祭日は毎年八月二〇日、二一日である。
この神社境内の大欅には豆蔦の寄生が有名である(一名銭蔦)。
町田市相原町一七四三番地に鎮座している。(「町田市史」より)

境内掲示による相原諏訪神社の由緒

養和元年(一一八一年)三月二十三日別当高岳坊長温が氏子と共に信州(長野県)下諏訪大社を丸山の地に勧請し相原山大明神と称した。
元和元年(一六一五年)山火事のため社殿焼失し、元和三年(一六一七年)高岳坊長厳(現宮司中村家)により再建される。
寛文七年(一六六七年)に三反歩の除地、又寛文十一年(一六七一年)の検地の際、社領一石五斗を受けた。
享和二年(一八〇二年)に再建した。明治四十四年(一九一一年)七国の神社、大谷神明社、橋本御嶽社、根岸日枝神社、中相原御嶽神社を合祀し、大正二年(一九一三年)境山王社、橋本稲荷社、陽田疱瘡社を合祀した。
大正十五年(一九二六年)旧社殿を解体して現本社覆殿拝殿を完成、拝殿は建坪十一坪二十五、三方外廊下入母屋作りで同時に神楽殿、礼堂も出来たが、昭和四十一年(一九六六年)の伊勢湾台風で倒壊してしまった。
昭和五十一年(一九七六年)より氏子会を結成しこの会費を以て神社の運営を行い、昭和五十五年(一九八〇年)には氏子を始め崇敬者の方々の浄財により社務所が完成した。
大祭には丸山獅子保存会による市指定の獅子舞、下相原連合囃子連、中相原囃子連によるお囃子の奉納がある。(境内掲示より)


相原諏訪神社所蔵の文化財

  • 丸山獅子舞(町田市指定無形民俗文化財)

丸山獅子舞

起源の古い獅子舞で、元和三年(一六一七年)長嚴法院が相原の諏訪神社の再興を図った時、村民が五穀豊穣と氏子安泰を祈って奉納したのが、始めとされている。
この獅子舞は、「花がかり」といい二頭の雄獅子と一頭の雌獅子そして仙人(ささら)で舞うものである。
牡丹の花がいっぱい咲いている平和な里で、ある時雄獅子が霞の立ちのぼる牡丹の花の中に遊び隠れたため、一等の雄獅子が独占したものと、互いに争いを始めたため、仙人(ささら)はあれこれと解決すべく走り回り、やがて風が霞を吹き払い。雄獅子が現れ互いの誤解もとけて、また仲良く舞うという内容で、我々の暮らしをあらわしたものであり、毎年八月二十日の諏訪神社例大祭に獅子舞が奉納されている。(町田市教育委員会掲示より)

相原諏訪神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 町田市史