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東福寺|国分寺市西恋ヶ窪にある真言宗豊山派寺院

東福寺の概要

真言宗豊山派寺院の東福寺は、武野山広源院と号します。東福寺の創建年代は不詳ながら、鎌倉時代初期の創建と伝えられ、戦国時代の享禄元年(1528年)に中興、宥雄(寛永元年1624年寂)が元和七年(1621年)に再中興したといいます。多摩八十八ヶ所霊場28番です。

東福寺
東福寺の概要
山号 武野山
院号 広源院
寺号 東福寺
本尊 大日如来像
宗派 真言宗豊山派
住所 国分寺市西恋ヶ窪1-39-5
葬儀・墓地 東福寺むさしの斎場・第二斎場併設
備考 -



東福寺の縁起

東福寺の創建年代は不詳ながら、鎌倉時代初期の創建と伝えられ、戦国時代の享禄元年(1528年)に中興、宥雄(寛永元年1624年寂)が元和七年(1621年)に再中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による東福寺の縁起

(恋ヶ窪村)東福寺
境内除地、七畝、村の南によりてあり。武野山と号す。新義真言宗、府中本町妙光院の末。客殿五間半に六間、本尊大日、木の坐像長一尺許、剏立の年歴を詳かにせず。中興開山宥雄寛永元年三月寂す。(新編武蔵風土記稿より)

「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」による東福寺の縁起

武野山広源院東福寺はJR西国分寺駅より250メートル程北東に位置します。東面する敷地は上下2段に分かれた段丘を取り込むように構成され、下段には斎場、石段を挟んだ上段に本堂と客殿、寺務所が建ちます。なお、正面の石段傍らには「傾城墓」「傾城墓由来」など一葉松の伝説に因む石碑類が佇んでいます。
本寺には鎌倉時代初期と享禄元(1528)年の開創との寺伝があり、元和7 (1621)年、享保10 (1725)年の再興が伝わります。東福寺は真言宗豊山派で、府中市の妙光院末寺、江戸時代は近接する熊野神社の別当寺でした。現在、本堂南側には子ノ権現(聖堂)が祀られますが、これはもともと百姓十郎右衛門の先祖が祀ったものを、天明4 (1784)年、当寺の飛地境内とされました。また、熊野神社南側に閻魔堂が飛地境内として享保10(1725)年以来ありましたが、第2次世界大戦で焼失し、現在は墓地とされています。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)


東福寺の周辺図

参考資料