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太陽寺|小金井市関野町にある真言宗豊山派寺院

太陽寺の概要

真言宗豊山派寺院の太陽寺は、密嚴山妙智院と号します。太陽寺は、第二次世界大戦後の混乱期に地域貢献した真蔵院住職孤島了章師に、高橋忠太氏が当地を寄進、有志の喜捨も受けて、真蔵院別院として昭和27年に創建、昭和56年に真蔵院から独立して一寺としたといいます。

太陽寺
太陽寺の概要
山号 密嚴山
院号 妙智院
寺号 太陽寺
宗派 真言宗豊山派
住所 小金井市東町3-18-6
葬儀・墓地 -
備考 -



太陽寺の縁起

太陽寺は、第二次世界大戦後の混乱期に地域貢献した真蔵院住職孤島了章師に、高橋忠太氏が当地を寄進、有志の喜捨も受けて、真蔵院別院として昭和27年に創建、昭和56年に真蔵院から独立して一寺としたといいます。

「小金井市史」による太陽寺の縁起

大陽寺
(所在地)成田3の105。真言宗大陽寺は、昭和27年(1952)南関野部落の有志の喜捨によって建立されたもので、桜材1本彫の聖観世音菩薩を本尊とする。(「小金井市史」より)

境内石碑による太陽寺の縁起

真言宗豊山派密嚴山妙智院太陽寺
本尊正観自在尊
開山伝燈大阿闍梨大僧正正了章和上
開基秀徳院壽翁忠照大居士
創建から平成伽藍の建立に至るまで
第二次世界大戦後の混乱期に、真蔵院住職・孤島了章師は、医師の数が少なく、医薬品も欠乏していた時、手当てによる気の療法をもって当地の人々の病苦を救い、さらに敗戦によってともすれば動揺しがちだった地元青年達の為に、観音経読誦会を開いて指導し、心の安定と意欲とをとりもどさせた。これに感応した当地の所有者高橋忠太氏は、昭和二十五年戦死した御令息の菩提を弔う意味もこめて、当地をそっくり寄進された。これを受けて、地元有志の人々が一致団結しこの地に了章師を中心とした宗教的拠点をつくることを発願、未だ資金も資材も乏しい中で、小堂の建立に着手した。汗と赤誠の結晶は昭和二十七年に竣工し、昭和二十八年春太陽寺と命名して落慶法要が行われた。
それから三十余年間、真蔵院の別院として、当地の宗教的な一大拠点に成長、建物も順次増築され、檀信徒も次第に増加、昭和五十六年には、真蔵院から分離して独立宗教法人となる。(境内石碑より)


太陽寺の周辺図

参考資料
  • 「小金井市史」