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真蔵院|小金井市関野町にある真言宗豊山派寺院

真蔵院の概要

真言宗豊山派寺院の真蔵院は、慈眼山普門寺と号します。真蔵院の創建年代は不詳ながら、御嶽山世尊寺の塔頭だったといいます。関野新田を開発した勘左衛門の父甚五左衛門(享保16年1731年没、法名真蔵院勇寛義鋭)を開基として、延享2年(1745)当地へ移転、秀典(宝暦12年1762年寂)が開山したといいます。多摩八十八ヶ所霊場31番です。

真蔵院
真蔵院の概要
山号 慈眼山
院号 真蔵院
寺号 普門寺
宗派 真言宗豊山派
住所 小金井市関野町2-8-4
葬儀・墓地 -
備考 -



真蔵院の縁起

真蔵院の創建年代は不詳ながら、御嶽山世尊寺の塔頭だったといいます。関野新田を開発した勘左衛門の父甚五左衛門(享保16年1731年没、法名真蔵院勇寛義鋭)を開基として、延享2年(1745)当地へ移転、秀典(宝暦12年1762年寂)が開山したといいます。

「小金井市史」による真蔵院の縁起

真蔵院
(所在地)関野町2の403。新義真言宗豊山派、木像聖観世音を本尊とする。西多摩郡御岳山中の廃寺世尊寺の塔頭であったものを延享2年(1745)にこの地に創建したと伝えられる。関野新田の開拓者関勘左衛門の父甚五左衛門を開基とし、その法号をとって寺号としたという。開山は秀典。
山門の前に三界万霊塔、川崎平右衛門の供養碑があり、これらによってこの寺の往時の規模をしのぶことができる。観音堂の柱に安産祈願、感謝の信者が納めた底抜竹柄杓がかけてある。
『新編武蔵風土記稿』に「真蔵院 除地三段歩、村の南の方にあり。慈眼山普門院と号す。新義真言宗にて郡中御岳山世尊寺末。本堂六間に四間。南向。本尊聖観音の木像長一尺二寸。開山を秀典という。宝暦十二年九月二十六日示寂。開基は当村を開発せる勘左衛門という者の父甚五左衛門なり。享保十六年十二月十日歿す。法号を真蔵院勇寛義鋭という。因って彼が法号を以てよベり。当寺は元世尊寺の塔頭なりしが、延享二年六月当村へ移せしという。観音堂は本堂の西南三間に一間半。東向」と記載してある。(「小金井市史」より)

新編武蔵風土記稿による真蔵院の縁起

(関野新田)真蔵院
除地、三段歩、村の南の方にあり。慈眼山普門寺と号す。新義真言宗にて郡中御嶽山世尊寺末、本堂六間に四間南向、本尊正観音の木像長一尺二寸、開山を秀典と云。宝暦十二年九月二十六日示寂。開基は当村を開発せし勘左衛門といふ者の父甚五左衛門なり。享保十六年十二月十日没す。法号を真蔵院勇寛義鋭と云。因て彼が院号を以てよべり。当寺は元世尊寺の塔中なりしが、延慶二年六月当村へ移せしと云。
観音堂。本堂より西南の隅にあり。三間に一間半東向。
川崎平右衛門墓。門を入て左の方にあり。碑面に雲松院殿忠山道栄居士明和四年六月六日をえりてあり
平右衛門は此邊の御代官にてよく民をあはれみしゆへ農民等追慕のあまり、所々に石碑を立しその一なりと云。(新編武蔵風土記稿より)


真蔵院所蔵の文化財

  • 川崎平右衛門供養塔

川崎平右衛門供養塔

川崎平右衛門定孝(一六九四〜一七六七)は、押立村(府中市)の名主で、元文三年(一七三八)の武蔵野新田の大飢饉に際し、私財を投じて救助にあたりました。その功により幕府の武蔵野新田世話役に登用され、南・北武蔵野新田八十二か村の復興に力を尽くしました。当時、ここから西へ約四百メートル程のところに南武蔵野新田開発のための陣屋が置かれ、平右衛門の手代高木三郎兵衛が常駐していました。
この供養塔は、寛政七年(一七九五)、関野新田・鈴木新田等に入植した農民が川崎氏の生前の徳を偲んで建てたものです。碑には平右衛門の戒名(霊松院殿忠山道栄居士)と命日(明和四丁亥天六月初六日)が刻まれています。(小金井市教育委員会掲示より)

真蔵院の周辺図

参考資料
  • 「小金井市史」
  • 新編武蔵風土記稿