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熊野神社|国分寺市西恋ヶ窪の神社

熊野神社の概要

熊野神社(西恋ヶ窪)は、国分寺市西恋ヶ窪にある熊野神社です。熊野神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉幕府滅亡の際に兵火に罹災して焼失、その後天正年間にも焼失したといいます。明治6年村社に列格、その後も幾度かの被災に遭いながらも再建しているといいます。

熊野神社
熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊弉諾尊、伊弉冊尊、八百萬神
相殿 -
境内社 八雲神社、八幡神社、古峯神社
住所 国分寺市西恋ヶ窪1-27-17
祭日 -
備考 -



熊野神社の由緒

熊野神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉幕府滅亡の際に兵火に罹災して焼失、その後天正年間にも焼失したといいます。明治6年村社に列格、その後も幾度かの被災に遭いながらも再建しているといいます。

新編武蔵風土記稿による熊野神社の由緒

(恋ヶ窪村)熊野権現社
社地除一段三畝一歩、村の中央にあり、覆屋三間四方、前に石階十五級あり、村内東福寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

北多摩神社誌による熊野神社の由緒

縁起創建不詳であるが、文明十八年午五月聖護院道興准后御東行の折「朽ちはてぬ名のみ残れる恋ヶ窪今はた訪ふも知記りならずや」の御歌御奉額が有った。元弘建武の頃新田義貞鎌倉勢と戦の時兵火に焼失した。応永十三年三月再建したが、天正十八年また兵火に罹り焼失した。慶長二年九月再勧請し、寛文十年八月本社を改築した。延宝六戌午六月代官野村彦大夫、中川八郎右エ門支配の砌社地一反一畝一歩をたまわる。宝暦十三年十二月内陣等神殿を造る。明治六年村社に列せらる。明治十年十月暴風のため社殿倒潰す。爾後復興に着手し本殿を建て次で拝殿を築き明治十六年九月竣功した。大正十二年九月関東大震災の折社殿大破したが、腐朽の個所も多く昭和三年大修繕を行う。大東亜戦争中昭和二十年四月米機の爆撃に遭い社殿大破した。昭和二十三年二月復興した。昭和三十一年社務所新築、昭和四十一年社殿改築竣功。昭和四十八年手水舎新築。(北多摩神社誌より)

「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」による熊野神社の由緒

熊野神社は府中街道と熊野神社通の交差点である「西恋ケ窪三丁目」交差点を東へ100メートル程進んだ旧鎌倉街道とされる道路に西面して鎮座します。敷地北西隅は道路の拡幅により斜に削ぎ落され、敷地西面に幟台、石階段等を構えます。敷石が真直ぐ社殿に向かい、南に社殿、神楽殿があり、北側に手水舎、太鼓庫及び境内末社の八雲神社、八幡神社、古峯神社が鎮座します。
当社は旧鎌倉街道とされる道路に西面し、社伝では新田義貞の兵火で焼失して応永(1394~1427)年間に社殿再建、天正18(1590)年兵火により再度焼失し、慶長2(1597)年に社殿が再建再勧請され、延宝6(1678)年の検地では1反3畝1歩とされます(「神社明細帳」東京都公文書館所蔵)。以後も、社殿は明治10(1877)年の暴風で倒れ、大正12(1923)年の関東大震災では大破、加えて昭和20(1945)年の爆撃により大破し、昭和41(1966)年に社殿を改築したとされます(『北多摩神社誌』)。祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)


熊野神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
  • 「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」