是政稲荷神社|小金井市桜町の神社

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是政稲荷神社|是政新田の開発に際して元文元年に創建

是政稲荷神社の概要

是政稲荷神社は、小金井市桜町にある神社です。是政稲荷神社は、是政新田の開発に際して元文元年(1736)に創建、明治42年小金井神社に合祀されたものの昭和21年分祀したといいます。

是政稲荷神社
是政稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂神
相殿 -
境内社 -
住所 小金井市桜町3-5-21
祭日 -
備考 -



是政稲荷神社の由緒

是政稲荷神社は、是政新田の開発に際して元文元年(1736)に創建、明治42年小金井神社に合祀されたものの昭和21年分祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による是政稲荷神社の由緒

(是政新田)
開發以来御料所にて今大岡源右衛門支配せり、此新田神社佛刹なし。(新編武蔵風土記稿より)

北多摩神社誌による是政稲荷神社の由緒

元文元辰年、当地開発の際守護神として勧請したと伝えられる。天保十亥年明治十六未年九月に社殿改築を行った。元字上水端二二九番地に鎮座し、東西六間南北三十一間社地六畝二十二歩を有する。明治三十八年七月明細帳脱漏発見、編入願を東京府知事千家尊福に提出した。明治四十二年四月小金井神社に合祀した後も祭祀を絶やさず。昭和二十一年小金井神社より分祀す。同念九月八日東東承第四号により神社本庁統理より創立承認。現在の社殿は昭和十年の建築である。(北多摩神社誌より)

東京都神社名鑑による是政稲荷神社の由緒

元文元辰年、当地開発の際守護神として勧請したと伝えられる。天保十亥年明治十六未年九月に社殿改築を行った。元字上水端二二九番地に鎮座し、東西六間南北三十一間社地六畝二十二歩を有する。明治三十八年七月明細帳脱漏発見、編入願を東京府知事千家尊福に提出した。明治四十二年四月小金井神社より分祀す。同年九月八日東承第四号により神社本庁統理より創立承認。現在の社殿は昭和十年の建築である。(東京都神社名鑑より)


是政稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
  • 東京都神社名鑑