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北町愛宕神社|国分寺市北町の神社

北町愛宕神社の概要

北町愛宕神社は、国分寺市北町にある神社です。北町愛宕神社は、榎木戸新田が開発された享保10年(1725)に創建、明治6年村社に列格したといいます。

北町愛宕神社
北町愛宕神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 軻遇突知命、木花開耶姫命
相殿 -
境内社 -
住所 国分寺市北町2-13-5
祭日 -
備考 -



北町愛宕神社の由緒

北町愛宕神社は、榎木戸新田が開発された享保10年(1725)に創建、明治6年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による北町愛宕神社の由緒

(榎木戸新田)新明社
愛宕社
社地除、一段一歩、村の東寄にあり、社四尺四寸、拝殿二間に三間、上屋二間半に三間南向なり、神體将軍地蔵木の立像にて長二尺許、里正源蔵が持なり。
浅間社
社地除、一段四畝廿一歩、村の中程にして北寄にあり、小祠なり、持前に同じ。(新編武蔵風土記稿より)

北多摩神社誌による北町愛宕神社の由緒

享保十年創建。明治六年村社に列せられ、明治二十九年愛宕神社と改称した。(北多摩神社誌より)

「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」による北町愛宕神社の由緒

国分寺市北部に位置する北町は、江戸時代前期に開かれた五日市街道に沿って広がります。この集落は江戸時代中期の新田開発により成立したもので、享保7(1722)年発願の野中新田、翌年開発の榎戸新田よりなります。現在の町は東西に通じる五日市街道に沿って整然とした地割が残りますが、野中、榎戸両新田は複雑に入り組み、この内、榎戸新田の鎮守が今回調査した愛宕神社となります。榎戸新田は奥多摩町大丹波の榎(木)戸覚(角)左衛門が開いたとされます。多くの新田村では親村の神社が分社されますが、親村とされる大丹波に愛宕社はなく、隣の小丹波に愛宕神社が位置します。
愛宕神社の来歴は、明治10(1877)年の「愛宕神社取調書上帳」、明治12(1879)年の「神社明細帳」(東京都公文書館所蔵)とも村の開発に際して享保10(1725)年勧請とします。江戸時代の史料では宝暦9(1759)年の「神社御改メ書上帳控」に「御除地…鎮守愛宕社…社人別当無御座候」とあり、近代以後では、明治6(1873)年5月に村社とされ、明治29(1896)年、愛宕神社と改称しました。
愛宕神社は東西に走る五日市街道の北側に社地を置いて、街道に面して鳥居を構えます。参道は敷地北側に延び、その東側傍らに社務所、西側に神輿庫を置き、突き当たりに本殿拝殿、本殿(覆殿)等を南面して構えます。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)


北町愛宕神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
  • 「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」