海岸寺|小平市御幸町にある臨済宗妙心寺派寺院

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

瑞雲山海岸寺|三峰山境内に創建、元文元当地へ引寺年

海岸寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の海岸寺は、瑞雲山と号します。海岸寺の創建年代等は不詳ながら、秩父郡三峰山境内にあったといいます。江戸時代、当地が南泉寺の抱地だったことから宝林庵という庵室があったといい、この庵室を一寺にしたいとの要望により、海岸寺を元文元年(1736)当地へ引寺したといいます。堂宇を建立できなかったことから、元文4年(1739)江戸済松寺の末寺となり、済松寺6世石慧堅禅師を中興開山としたといいます。

海岸寺
海岸寺の概要
山号 瑞雲山
院号 -
寺号 海岸寺
本尊 -
住所 小平市御幸町318
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



海岸寺の縁起

海岸寺の創建年代等は不詳ながら、秩父郡三峰山境内にあったといいます。江戸時代、当地が南泉寺の抱地だったことから宝林庵という庵室があったといい、この庵室を一寺にしたいとの要望により、海岸寺を元文元年(1736)当地へ引寺したといいます。堂宇を建立できなかったことから、元文4年(1739)江戸済松寺の末寺となり、済松寺6世石慧堅禅師を中興開山としたといいます。

新編武蔵風土記稿による海岸寺の縁起

(鈴木新田)海岸寺
多摩川上水の北側にあり。瑞雲山と号す。禅宗臨済派京都妙心寺派にて江戸牛込南泉寺末、本堂七間に五間南向、本尊正観音の坐像木佛長一尺許。開山を元碩と云。寛保二年十二月六日示寂。当寺は元秩父郡にありしが、享保十九年六月当所に移せしなり。門前に小金井村つづきの桜樹数株たてり。
秋葉社。上屋九尺四方内に四尺許の宮あり。前に小き鳥居をたつ。(新編武蔵風土記稿より)

小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による海岸寺の縁起

海岸寺
この寺は、享保年間にこの地一帯に移住した農民の、寺院建立の熱心な要望によってできたものである。
この地はもともと江戸南泉寺の抱地で、宝林庵という小庵があった。南泉寺の弟子円備、済松寺弟子禅育らはこの農民の要望をいれ、元文元年(1736)10月、寺社奉行の許可を得て、武蔵国秩父郡三峰山境内にあった本明宗全禅師開創の越中(富山県)国泰寺の末寺である海岸寺の末寺である海岸寺の引寺に成功した。
しかし堂宇が建立できなかったので、元文4年(1739)江戸済松寺の末寺となり、同寺6世石慧堅禅師を中興開山として、瑞雲山海岸寺の礎を確立し、円備首座が堂宇を建立した。
現在の本堂は、昭和33年(1958)に建替えられたもので木造瓦葺である。
また山門は170〜180年前の建立で、渡り大工の作といわれている。鎌倉様式が取り入れられ、面積は8.3平方メートル、四脚門で天井には竜の絵がほりこまれていて、近隣の市町村でも珍しい貴重な建築物である。(小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より)


海岸寺所蔵の文化財

  • 海岸寺山門(小金井市指定有形文化財)
  • 小金井桜樹碑(小金井市指定有形文化財)

海岸寺山門

この海岸寺山門の建築年月日は不明であるが、建築様式は鎌倉時代の代表的な、いわゆる鎌倉式というのが取り入れられていて、本堂建立と同じ年代の天明3年(1783)といわれている。
鈴木新田の長谷部大工の家に寄寓していた渡り大工の作といわれている。
門の構造は、総ケヤキ造りで、本柱の前後に各2本の控柱を立てた四脚門で、カヤ葺である。天井には、竜の絵が描かれているが、現在はかすかに残っている状態にある。
本柱うえの枠組みと破風流れの屋根構え、およびカヤ葺屋根は近隣市町にその類を見ない珍しい貴重な建物である。(小平市教育委員会掲示より)

小金井桜樹碑

この碑は文化7年(1810)7月に建立されたもので、かつては現在の位置より東へ約百メートル離れた秋葉神社の境内にあった。碑文は江戸時代の漢学舎大久保狹南の撰文で、約7百字に及ぶものである。狹南は多摩郡清水村(現東大和市)の生まれで、寛文9年(1797)に多摩地方を中心にして名勝地を選び、漢文による「武蔵八景」を上梓している。
この八景の中に「金橋桜花」と題し、小金井堤の桜花が選ばれたことで一躍有名になり、江戸の文人墨客のこの地に遊ぶものが多く、文化3年(1806)の春に儒者佐藤一斎、その師大学頭、林述斉もここに遊び、観桜記を作りこの桜を賞賛している。
碑文は小金井桜植樹の由来にはじまり、桜花の賞賛、南北武蔵野新田世話役川崎平右衛門正孝植樹の功績、桜の樹皮及び花による上水の解毒、武蔵八景の一つである「金橋の桜花」はこの地であると述べている。私共の選んだ武蔵八景の「金橋の桜花」の名所を後世に誤りなく伝えるために、この桜を植樹した川崎平右衛門正孝の孫である平蔵と、女婿の石永貞子亭と協議して碑を建てることにしたと結んである。
この碑は文化7年(1810)に完成したが、碑の建立を計画した大久保狹南は、碑の完成を見ることなく、前年に没した。(小平市教育委員会掲示より)

海岸寺の周辺図