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小平熊野宮|小平市仲町の神社、旧村社

小平熊野宮の概要

小平熊野宮は、小平市仲町にある熊野宮です。小平熊野宮は、阿豆佐味天神社の摂社を当地一本榎の地に遷座して宝永元年(1704)に創建、明治6年村社に列格、明治42年猿田彦神(元庚申社)を合祀したといいます。

小平熊野宮
小平熊野宮の概要
社号 熊野宮
祭神 伊邪那岐大神、伊邪那美大神
相殿 相殿:早玉男神、事解男神、猿田彦神
境内社 一本榎神社、天神社、八幡社、稲荷社、白山社、庚申社、祖霊社
住所 小平市仲町361
祭日 -
備考 旧村社



小平熊野宮の由緒

小平熊野宮は、阿豆佐味天神社の摂社を当地一本榎の地に遷座して宝永元年(1704)に創建、明治6年村社に列格、明治42年猿田彦神(元庚申社)を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による小平熊野宮の由緒

(小川新田)熊野社
除地、一段餘、小名一本榎にあり、社一間に二間、拝殿三間に二間乾向、前に木の鳥居を立、當村の鎮守にて例祭九月十九日、神主宮崎若狭、社の後に榎の大樹一株あり、この村開發の以前は茫々たる原野なれば、近村の民等秣かりに出たるも、この木を標となして往来をなせしよし、さればこの邊の小名を一本榎と云へり、いつしかこの木もかれて、後亦榎を植継たれば今は小木なりと云。(新編武蔵風土記稿より)

北多摩神社誌による小平熊野宮の由緒

宝永元年九月の創立で、西多摩郡殿ヶ谷村郷社阿豆佐味天神社(延喜式内社)の攝社として、岸村字岸組の地に鎮座してあったが、宮崎主馬氏当村小川新田を開拓するに当り、鎮守の社と定め、一本榎のもとへ遷祀したものである。
主馬氏の詠める
繁り合い昼なおくらき一本の 榎の葉末見るもとうとし
しかしこの榎樹は寛保甲申と云う年に至って、枯木となり、由って是を祭祀して一本榎神社と称した。現存する処の榎樹はその孫木である。また相殿の座す猿田彦神(元庚申社)は享保の頃近郷境界に紛擾したことがあり、当時、主馬氏この紛擾を和し、永く境界保全のため庭内社として、享保十五年当村の境三〇一番地に奉斎してあったが、明治四十年二月二十八日合祀したものである。明治六年村社に列せられた。(北多摩神社誌より)

境内掲示による小平熊野宮の由緒

武蔵野乃一本榎熊野宮
当宮は、武蔵国多摩郡殿ヶ谷村鎮座の延喜式内社・阿豆佐味天神社の摂社として、同郡岸村字岸組に産土神と奉斎されていた社を、小川村の開拓に着手した小川九郎兵衛と、阿豆佐味天神社の神主で当宮社家の始祖である宮崎主馬が、寛文年間に小川村名主の屋敷内に遷祀し、その後小川新田(現在の仲町、喜平町、学園東町、学園西町と上水本町の一部と上水新町)の開拓を行うのに先立って、その守護神として宮崎主馬が宝永元年(一七〇四)に榎の大樹のもとに祠を建立し遷座したのが縁起である。
以来この地域の鎮守の社として崇敬を集め、平成十六年(二〇〇四)に御鎮座三百年を迎えた。(境内掲示より)


小平熊野宮所蔵の文化財

  • 一本榎

一本榎

往時この一帯は「逃水の里」と称され、川もなく水の便が非常に悪い場所で、人家が一軒もない荒漠たる武蔵野の原野であったと言われている。
その当時から重要な街道であった青梅街道と鎌倉街道(現在の府中街道)が、この小平の東西と南北に通じているが、特に青梅街道の田無から箱根ケ崎までの間には宿場もなく、往還する人馬にとって寒暑風雨や飲み水の確保に至極難渋した地域であったようである。
そのような原野の中にあって、当地に一本の榎の巨木が聳え立っており、これが「武蔵野の一本榎」と呼ばれていて、両街道を往来する人々の良き目印や一時の休息の場になっていたと伝えられている。
宝永年間の「一本榎」は、既に樹齢数百年を経た老大樹で、その枝は四方の広大なる地域に張り、その投影は百数十間にも及び、盛夏の炎天下にあっても絶えず千古の涼風が吹き通っていたとも伝えられている。
この初代の榎は、寛保年間(一七四二〜四四)に枯木となり、その後に一本榎神社として祀られ、現在その社は、末社殿に合祀されている。
二代目の榎も目通り七尺の大樹であったが、大正三年九月の暴風雨により倒潰し、現在繁っている榎は、樹齢約百年の三代目の孫木である。
また、社殿正面には、樹齢約二百五十年から三百年の二本の欅が寄り添って繁っており、「夫婦像」と呼ばれ夫婦円満の象徴として参拝者に親しまれている。(熊野宮社務所掲示より)

小平熊野宮の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 北多摩神社誌