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猫の足あと

萬松山成就院|日野市栄町にある天台宗寺院

成就院の概要

天台宗寺院の成就院は、萬松山と号します。成就院の創建年代等は不詳ながら、平安時代に日奉氏が居館の鬼門除けに建立した東光寺(永禄年間1558-1570に廃絶)の子院だったといい、僧永海が慶長16年(1611)に中興開山したといいます。薬師堂及び薬師如来像(東光寺薬師)は市有形文化財に指定され、また関東九十一薬師霊場3番です。

成就院
成就院の概要
山号 萬松山
院号 成就院
寺号 -
住所 日野市栄町5-5-1
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



成就院の縁起

成就院の創建年代等は不詳ながら、平安時代に日奉氏が居館の鬼門除けに建立した東光寺(永禄年間1558-1570に廃絶)の子院だったといい、僧永海が慶長16年(1611)に中興開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による成就院の縁起

(日野本郷)成就院
除地、一段二畝五分、小名東光寺にあり、天台宗、同郡高月村圓通寺末、萬松山と號す、開山永海慶長十六年の起立なり、本尊釋迦を安置す、客殿は五間半に三間半。
薬師堂
小名東光寺にあり、三間に三間半、本尊は坐像にして長一尺、運慶の作なりと云、成就院の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

日野市史による成就院の縁起

万照山と号する天台宗の寺院で円通寺(八王子市高月町)の末である。本尊は阿弥陀如来、木彫り二尺ばかりの坐像。寺伝によれば、かつて存在したと伝える東光寺(日奉氏が居館の鬼門除けに建立、永禄年間[一五五八~一五七〇]に廃絶したと伝えられる)の一子院であった。東光寺と共に久しく廃絶していたのを天正十六年(一五八八)僧永海が中興建立したものである。そのため永海を以て中興開山とした。現在の堂宇は寛政六年(一七九四)の建立で、本堂・庫裡を通じ、間口八間・奥行四間半南向きである。昭和三十一~三十二年萱葺きの屋根を瓦葺きに改修した。
本堂には、本尊のほか阿弥陀如来立像高さ約一尺四寸一体、聖観音立像高さ約一尺二体(一体は厨子に納める)、阿弥陀如来坐像高さ約五寸、大日如来坐像高さ約六寸、伝教・天台の両大師木彫坐像、弁財天坐像高さ約五寸、同高さ四寸、守護神白髭明神立像、妙見像高さ約四寸が安置される。
境内は二百八十一坪であったが、昭和二十六年参道に接した西側の畑約三百坪を敷地に加え、児童遊園地を設けた。
境内薬師堂
一般に東光寺薬師と呼ばれる。平安時代の中期、武蔵の豪族西党日奉氏の祖が日野台地の一郭に居館を構え、その鬼門の方角に薬師堂を建立したと伝える。この薬師堂が旧刹東光寺とどんな関係にあったかは不明である。
薬師堂は東光寺とともに、廃絶していたが、天正八年(一五八〇)円勝法印が再興したと伝えられる。その後嘉永二年(一八四九)に焼失、同六年再建されたのが移築前の堂であった。堂はもと現在地より約三丁ほど西方の辻に建てられていたが、昭和四十六年現在地に移築された。その折堂全体に補修が加えられ、萱葺きを銅板葺きに改めた。堂は小規模ながら江戸末期の様式を比較的よく伝え、簡素ながら全体の形態も整っている。
桁行三間・梁間三間、寄棟造、妻入り向拝一間である。
本尊薬師如来は、古くから安産薬師として知られ、現在も安産のほか、諸病平癒の祈願に参詣する人が多い。(日野市史より)


成就院所蔵の文化財

  • 薬師如来坐像(市指定有形文化財)
  • 薬師堂(東光寺薬師堂)(市指定有形文化財)

薬師如来坐像

ほぼ等身大に近いこの薬師如来坐像は、古くから多くの人々の深い信仰をあつめている尊像である。顔の表情もおごそかで、胸を張って端坐する体躯には量感もあり、堂々とした姿をしている。大きく開いた胸もとをはじめ肉身部は朱漆の上に金箔をほどこし、衲衣は現在黒色を呈しているが、もとは朱漆で彩色されていたものであろう。寄木造りと思われるが、像の表面は厚手の漆箔と彩色におおわれ、その構造は不明である。個性ある顔つきや全体に素朴な彫り口から、在地の仏師の作と考えられる。室町時代の制作と推定される。(日野市教育委員会掲示より)

薬師堂(東光寺薬師堂)

平安時代中期、武蔵の豪族日奉氏は日野台地の一部に居館を設け、その鬼門の方向に東光寺を建立したと伝える。薬師堂はこの東光寺に何らかの関連があると思われるが、いずれも早く廃絶して東光寺は地名にその名を残した。薬師堂は天正8年(1580年)旧地に再興されたといわれるが詳しいことは明らかでない。
その後、嘉永2年(1849年)焼失、同6年再建されたのが現在の堂である。再建堂は当初現位置より約300m西方の辻に建てられていたが、昭和46年成就院境内の現在地に移された。
堂は小規模ながら、江戸末期の様式を比較的よくまとめ、全体の形態も整っている。移築に際して茅葺を銅板葺にあらためた。この堂は簡素ではあるが、多摩の地域史につながる数少ない仏堂のひとつとして意義がある。(日野市教育委員会掲示より)

成就院の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 日野市史