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清谷山真照寺|日野市落川にある真言宗智山派寺院

真照寺の概要

真言宗智山派寺院の真照寺は、清谷山蓮華院と号します。真照寺は、法印弘意(長元9年1036年又は天寿元年1053年寂)が開基となり長和年間(1012-1017)に創建、法印善意(慶長11年1606年寂)が天正年間(1573-1592)に中興したといいます。多摩八十八ヶ所霊場17番、多摩川三十三ヶ所観音霊場11番、武相卯歳観音霊場四十八ヶ所8番、日野七福神の恵比寿天です。

真照寺
真照寺の概要
山号 清谷山
院号 蓮華院
寺号 真照寺
住所 日野市落川1113
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 日野わかくさ幼稚園



真照寺の縁起

真照寺は、法印弘意(長元9年1036年又は天寿元年1053年寂)が開基となり長和年間(1012-1017)に創建、法印善意(慶長11年1606年寂)が天正年間(1573-1592)に中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による真照寺の縁起

(関戸村)真照寺
落川村の内、當村の飛び地にあり、別当寺領六石の内なりと云、清谷山蓮華院と号す、新義真言宗高幡金剛寺末、開山頼瑜永仁五年正月朔日示寂す、客殿九間に七間、本尊大日木の坐像長一尺三寸。
観音堂。門を入て左にあり、二間に三間、聖観音の銅像長一尺三寸なるを安ず。(新編武蔵風土記稿より)

日野市史による真照寺の縁起

真照寺 落川一一一二
清谷山蓮華院と号し、真言宗智山派に属する。かつて高幡の金剛寺末であった。別当寺領六石。文化文政(一八〇四~一八三〇)のころ客殿は九間に七間、本尊大日如来木彫の坐像一尺三寸を安置する。また山門を入り左側に、二間に三間の観音堂があり、一尺三寸の聖観音銅像を安置していた(『新編武蔵風土記稿』)。ところが明治三十年代地元に赤痢流行の折、患者を収容したために終息の後堂を取り壊し焼却したという。そのとき聖観音像は本堂に移したと考えられるが、以来不明となっている。大正十年(一九二一)五月二十四日火災に遭い、本堂・庫裡・古記録等ことごとく焼失した。このとき本尊大日如来像は無事であった。
当寺の開山は『新編武蔵風土記稿』によれば、永仁五年(一二九七)正月一日示寂した頼瑜によるとされているが、当寺所蔵の過去帳(写)によれば、長元九年(一〇三六)三月三日寂(あるいは天寿元年[一〇五三]三月三日寂ともいう)の法印弘意の開基(長和年間[一〇一二~一〇一七]と推定)とされている。また天正年間(一五七三-一五九二)の法印善意(慶長十一年[一六〇六]十二月二十二日寂)を中興法流の祖としたとある。
本尊大日如来像は、元禄九年(一六九六)四月十五日三条松木某の作、嘉永三年(一八五〇)大仏師中藤新田幸吉がこれに彩色した。
当山は江戸期以来、武相観音三十三番の第八番の札所霊場であり、また多摩四国八十八か所霊場の第十七番札所でもある。安置の観世音菩薩は、安産・子育ての観音として広く諸人の信仰をあつめて今日に及んでいる。
現存の千手観世音像は『七生村史』記載の本尊観世音菩薩と見られるが、その安置を火災の翌年大正十一年四月としている。寺院は焼失後、俗家風平屋建の仮本堂のままであったが、昭和四十年十月本堂・庫裡を完成、寺観を一新した。山門は元禄十五年(一七〇二)十月二十七日造立、大工は市川金兵衛。明治三十六年三月一日門・屋根を修復して、大工は分梅の佐藤精一。昭和四十八年門修復、従前の山門様式に復原した。(日野市史より)

境内掲示による真照寺の縁起

真言宗智山派に属し総本山は京都東山七条の智積院で、高幡山金剛寺と同じ宗派です。ご本尊様は大日如来で、本堂の左側のお堂に千手観世音と恵比寿天が勧請されています。
開基は今より約千年前、十一世紀の始め頃といわれており、この落川地区には奈良時代から平安時代にかけ一大集落があったことが遺跡の発掘調査から明らかになっており、百草園周辺に存在していたという、「幻の真慈悲寺」との関係も推察できます。
大正十年に不慮の火災で堂宇、仏像、古文書など、すべて焼失してしまいましたが、幸い消失を免れましたご本尊、大日如来と山門は共に元禄時代(十七世紀末)の作であることが判明しています。
江戸時代には、当寺に寺子屋があり、明治時代より小学校・分校等がおかれ、その後、昭和四十三年より、当寺の子育、安産の信仰として霊験あらたかな観音様の本誓をうけて寺立の、日野わかくさ幼稚園を創立し、地域の幼児教育を推進しております。
尚、裏山一帯には環境省が絶滅危惧植物に指定している貴重な「多摩の寒葵」が自生しており、寺庭にも数株移植されております。(境内掲示より)


真照寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 日野市史