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日野八坂神社|日野市日野本町の神社

日野八坂神社の概要

日野八坂神社は、日野市日野本町にある神社です。日野八坂神社の創建年代は不詳ですが、多摩川より発見した牛頭天王像を奉遷し、社殿を建立したと伝承され、応永5年(1398)に土淵山観音院普門寺が創建され、当社の別当寺となったといいます。慶安元年(1648)には徳川家光から社領免除と朱印地十四石を拝領した日野郷の総鎮守社です。

日野八坂神社
日野八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 櫛御気野命、倉稲魂命、大山咋命
境内社 八幡社
住所 日野市日野本町3-14-12
祭日 例大祭9月15日
備考 -



日野八坂神社の由緒

日野八坂神社の創建年代は不詳ですが、多摩川より発見した牛頭天王像を奉遷し、社殿を建立したと伝承され、応永5年(1398)に土淵山観音院普門寺が創建され、当社の別当寺となったといいます。慶安元年(1648)には徳川家光から社領免除と朱印地十四石を拝領した日野郷の総鎮守社です。

新編武蔵風土記稿による日野八坂神社の由緒

(日野本郷)天王社
小名上宿社領の内にあり、鳥居一基を立、社前に二間に四間の拝殿ありて、勧請及び社領をたまひし年月を詳にせず、例祭は六月十八日に行へり
鐘楼。七尺四方、鐘は圓径二尺五寸、寳永四年の銘文を鋳る。
末社。天神祠、辨天祠。
菴。二間に三間、社頭を守る僧ここに住居せり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による日野八坂神社の由緒

創立年代は不詳であるが、昔、土淵の庄の多摩川の深淵より発見した牛頭天王像を奉遷し、社殿を建立したとの伝承がある。応永五年(一三九八)に土淵山観音院普門寺が開基され、当社の別当となる。永享年中(一四二九-四〇)に再建し、元亀元年(一五七〇)現在地に遷座する。慶安元年(一六四八)徳川家光公より社領免除と朱印地十四石の寄進を受け、以来徳川累代の将軍の御朱印写しがある。日野総鎮守。(東京都神社名鑑より)

日野市史による日野八坂神社の由緒

創祀年代不詳。社伝によれば、応永五年(一三九八)普門寺が、旧本宿辺に開創されたとき、その鎮守として牛頭天王社が祀られ、以来同寺は永くその別当をつとめた。その後、永享年間(一四二九~一四四一)権少僧都智伝が、社殿を造営中興し、元亀元年(一五七○)普門寺の移転に際し、当社も現在地に遷座されたといわれる。
降って慶安元年(一六四八)七月十七日徳川三代将軍家光が、天下安穏・国土泰平の祈願として、社領免除の旨を下し朱印地十四石を寄進した。以来徳川累代将軍寄進の朱印状写がある。なお享保十七年(一七三二)別当普門寺住職長快が、牛頭天王像荘厳を本願し、佐藤八兵衛忠勝・土方甚八郎等講中の合力を得て、江戸の仏師に依頼し、翌年六月十八日に完成、元文元年(一七三六)六月十二日本殿に安置した。その後社殿朽損の為、権大僧都法印尊盛が再興を計画、寛政十二年(一八〇〇)同盛信の時完成した。これが現在の社殿と思われる。
現存する神輿は、佐藤俊宣の発起により明治十三年(一八八〇)九月完成した。御仮屋その他の付属品とも、当時一千余円を費やしたといわれる。(日野市史より)

境内掲示による日野八坂神社の由緒

創立年代は不詳であるが、むかし日野本郷の多摩川の流れに沿って土淵という深淵があり、それでこの付近を土淵の庄と云ったが、あるとき多摩川洪水の後、数夜にわたってその淵に何か怪しい光るものがみえたと云う。里の老翁がこれを拾い上げたところ、金色燦然とした牛頭天王の神像であったため、里人は歓喜してこれを勧請し、祠を建立、鎮守として祀ったのが当八坂神社の起源と云われ、五穀豊穣・疫病除け・子孫繁栄に霊験無双の神なりとしてある。
本殿は、寛政一二年(一八〇〇年)に完成したもので、様式一間社造り、屋根は流れ造りで、正面に千鳥破風・軒唐白木彫りの彫刻垂木の組物等、建築技術の粋をつくした絢爛華麗な江戸後期の典型的な社殿(本殿)建築である。この本殿には、安政五年(一八五八年)に天然理心流近藤周助の門人達により奉納された額があり、欅板に大小二本の木刀が架けられている。
例大祭は、毎年九月、盛大に行われ、特に「千貫みこし」とよばれる神社神輿の渡御は都内、近県でも有名な神事で、絢爛豪華な祭絵巻が繰り広げられている。(境内掲示より)


日野八坂神社所蔵の文化財

  • 八坂神社本殿(市指定有形文化財)
  • 神像五尊
  • 神輿
  • 扁額

八坂神社本殿

本殿は、棟札により寛政12年(1800年)に再建されたもので、大工棟梁は武蔵国大里郡上吉見領村の須長伊右衛門源国信・織江源信安父子であることがわかる。一間社々殿としてはかなり大規模なもので、間口二間・奥行二間半・棟高五間・総欅造り・流造りの正面屋根に千鳥破風と軒唐破風を設け、建物の壁面は床上・床下ともに中国故事をはじめ、昇龍降龍・牡丹に唐獅子・波に鯉等の浮彫り、透彫り装飾を取付け、また柱・梁・貫及び高欄にいたるまでその木部表面に獅子頭・龍頭・獏頭の木鼻、葡萄と波・菊花・牡丹等の浮造り・透彫りの文様を彫るなど、きわめて装飾的な社殿となっている。ただし、すべて素木で彩色はない。神社の記録によれば、本殿両扉・南側両大壁の彫物などは、明治3〜5年に仲井の彫師平野治助によって修理された。
郷村の鎮守本殿としては、規模もかなり大きく、その華麗な彫刻装飾は、時代の好みを表わす力作で、江戸後期における神社建築・装飾彫刻の粋を集めた優れた作品である。なお現在本殿は神明造りの覆屋で保護されている。
構造形式:一間社流造り、正面千鳥破風及び軒破風付き、柿葺(日野市教育委員会掲示より)

日野八坂神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 日野市史