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片倉住吉神社|八王子市片倉町の神社

片倉住吉神社の概要

片倉住吉神社は、八王子市片倉町にある神社です。片倉住吉神社は、片倉城主長井大善大夫道広が、片倉城の鎮守の神として、摂津国(大阪市)住吉大社を応安5年(1372)勧請したといい、慶安年間(1648-1651)には江戸幕府より社領7石の御朱印状を拝領したといいます。

片倉住吉神社
片倉住吉神社の概要
社号 住吉神社
祭神 上筒男命、中筒男命、底筒男命
相殿 -
境内社 稲荷社
住所 八王子市片倉町2475
祭日 8月第4日曜日
備考 -



片倉住吉神社の由緒

片倉住吉神社は、片倉城主長井大善大夫道広が、片倉城の鎮守の神として、摂津国(大阪市)住吉大社を応安5年(1372)勧請したといい、慶安年間(1648-1651)には江戸幕府より社領7石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による片倉住吉神社の由緒

(片倉村)住吉社
城山にあり、村の鎮守なり、社は五尺の宮造なり、覆屋あり、三間に五間、本地十一面観音、脇士に不動毘沙門を安す、運慶の作なりと云、神體は圓き鏡にあり、これにても近き鎮座にあらざることしらる、語り傳に當社は古へ大江備中守師親在城せしころの守護神なりと、もししからば別に神體ありて、この神體は後に造りしものなるべし、師親は應永の比の人なり、祀禮毎年七月十九日、慶安年中御朱印七石を御寄附あり。
別當東光寺
村の東北にあり、新義真言宗、同郡宇津貫村龍光寺末、世尊院金蔵坊と號す、開山詳ならず、開基は大江備中守師親なり、本堂八間に六間、南向なり。
熊野社。境内の鎮守なり、小祠、神體左の如し、径七寸六分、裏に、武州多西郡横山片倉村 来光寺鎮守 熊野三所大権現 天文廿乙卯四年四月吉日賴尊敬白。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による片倉住吉神社の由緒

片倉城は宇津貫川・湯殿川に守られた室町時代初期の山城であるが、時の城主毛利備中守師親公が、摂津国住吉神社を勧請され城の鬼門除けとして建立。慶安二年(一六四九)十月十七日、徳川三代将軍より御初判にて代々七石御寄附の朱印を賜わる。(東京都神社名鑑より)

境内掲示による片倉住吉神社の由緒

鎌倉管領、片倉城主長井大善大夫道広が、応安五年(一三七二年)城の鎮守の神として、摂津国(大阪市)住吉大社を勧請したのである。
慶安二年(一六四九年)十月十七日、徳川三代将軍より朱印七石を受ける。
境内は城跡で、都の指定を昭和十一年三月受ける。(境内掲示より)


片倉住吉神社所蔵の文化財

  • 片倉城蹟(東京都指定史跡)

片倉城蹟

片倉城跡は、湯殿川と兵衛川の合流点を臨む北東方面に張り出した丘陵先端部に位置する中世城館です。北・東・南の外周部は約三〇mの急崖となっており、自然地形を生かした城郭です。西からの丘陵頂部は平坦ですが、深い空堀により画された主郭と第二郭からなります。現道の配置等から第二郭の西方にも堀切りがなされ、三郭からなる直線連郭式城郭であった可能性もあります。空堀に画された二つの郭には土塁や櫓台、腰曲輪、土橋などが良く残ります。
『新編武蔵風土記稿』などでは応永年間(一三九四-一四二八)の大江備中守師親の在城を記し、大江氏や大江氏の後裔の長井氏の城郭とされていますが、確証はありません。
築城主体や年代の特定は困難ですが、深大寺城跡などの他の中世城郭との比較から一五世紀後半以降に築城され、一六世紀代に廃城になったと推定されています。しかし、城郭としての配置や技法、古川越街道や鎌倉街道と隣接する交通の要衝であることから、小田原北条氏による築城や利用の可能性も指摘されています。(東京都教育委員会掲示より)

片倉住吉神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑