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日吉八王子神社|八王子市日吉町の神社

日吉八王子神社の概要

日吉八王子神社は、八王子市日吉町にある神社です。日吉八王子神社は、天慶3年(940)に御神像を造立して創始したといいます。文禄4年(1595)に(修験者)法印島之坊俊盛が社殿を造営、日吉山王八王子明神社と称し、由井領の総鎮守としたといいます。

日吉八王子神社
日吉八王子神社の概要
社号 八王子神社
祭神 国狭槌尊
相殿 -
境内社 稲荷神社
住所 八王子市日吉町8-20
祭日 5月5日
備考 -



日吉八王子神社の由緒

日吉八王子神社は、天慶3年(940)に御神像を造立して創始したといいます。文禄4年(1595)に(修験者)法印島之坊俊盛が社殿を造営、日吉山王八王子明神社と称し、由井領の総鎮守としたといいます。

新編武蔵風土記稿による日吉八王子神社の由緒

(島之坊宿)
日吉山王八王子明神社
社地、四百三十五坪、町の中程にて南側なり、相傳ふ島之坊の先祖俊盛文禄四年この地に一坊を起立して、八王子明神を勧請し、由井領の惣鎮守とすと云、祭神國狭槌尊にして、その像は弘法大師の作なりと云、木の立身にて、長一尺一寸五分餘、最古色の像なり、本社に上屋あり、二間に三間、棟札に寛文七丁未五月吉日とあり、これは再興のときのものなりとぞ、この棟札に施主御代官高室四郎左衛門、手代小山次郎兵衛等の交名をかきのせたり。
別當島之坊
除地、四段二畝十五歩、八王子社の向ひに二十間ほど東によりてあり、由井山と號す、今柚井山とかくは誤なりと云、本山修験京都聖護院の末に屬して、郡中木曾村住善寺の支配をうく、相傳ふ、文禄譽年先祖俊盛あらたに一宿一坊をひらくと、然るに天正十八年小田原御陣のとき、御陣貝役をつとむ慶長五年關ヶ原御陣には、小田原に住する玉龍坊と同く勤仕せり、ゆへに歸國の後除地をたまはりしといへり、其時の御陣螺今猶蔵す。
末社。
金毘羅社。本社に向て左にあり、小祠にして覆屋をたつ、寛政五年瀧山大善寺の僧祐信が建立する所なりと云。
大杉一株。同じ邊にあり、周圍二丈二尺許もあり、或云本社の内に大杉明神の木像一軀あり、甚古き像なり、よりておもふにこの杉は必ずゆへある古木にして、昔は神木とも唱へしものにや。
稲荷祠
除地、百八十二坪、嶋之坊の向ひにあり、彼坊の先祖の勧請せしなりと云傳ふるのみにて、年月をしらず、もと八王子明神の末社にて、昔より八大坊といふ、當山の修験にあづけ置けりと云。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による日吉八王子神社の由緒

天慶三年(九四〇)一尺一寸五分の御神像を造立し、山根九万石の惣鎮守として創立する。元亀二年(一五七一)八王子城主北条氏照崇敬し祈願所と定める。文禄四年(一五九五)法印島之坊俊盛社殿を造営し日吉山王八王子明神社と称した。由井領の惣鎮守とし、八王子十五組宿の祈願所となる。寛文七年(一六六七)五月代官高室四郎左衛門ほか三名により再建され、明治二年島之坊宿の役人石川喜右衛門ほか二名により再建、明治三十五年改築された。昭和二十年八月二日の八王子空襲には境内社殿の焼失をまぬかれた。(東京都神社名鑑より)


日吉八王子神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑