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南養寺|国立市谷保にある臨済宗建長寺派寺院

南養寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の南養寺は、谷保山と号します。南養寺は、立川入道宗成が開基となり、建長寺三十七世真照寺大定禅師物外可什大和尚(貞治2年1363年没)が開山、江戸期には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

南養寺
南養寺の概要
山号 谷保山
院号 -
寺号 南養寺
本尊 釈迦如来像
住所 国立市谷保6218
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



南養寺の縁起

南養寺は、立川入道宗成が開基となり、建長寺三十七世真照寺大定禅師物外可什大和尚(貞治2年1363年没)が開山、江戸期には寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による南養寺の縁起

(上谷保村)南養寺
臺にあり、谷保山と號す、禅宗臨済派、當郡柴崎村普済寺末、本堂十間半に七間半南向、御朱印十石の寺領を附せらる、本尊釋迦木の坐像長一尺、開山大定貞治二年十月八日寂す。
観音堂。四間四方、木像の千手観音立身長二尺餘、運慶の作。
鐘楼。九尺四方、安永六年の鋳作。
寮一宇。門の西にあり。
門。谷保山の三字を扁す。前南禅僧僧録司大川宗達の書とあり。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による南養寺の縁起

南養寺は、谷保山と号し、禅宗、臨済宗建長寺派の寺院です。開山は建長寺三十七世真照寺大定禅師物外可什大和尚(貞治二・一三六三年没)で、開基は立川入道宗成と伝えられます。(境内掲示より)


南養寺所蔵の文化財

  • 本堂(市指定有形文化財)
  • 大悲殿(市指定有形文化財)
  • 総門(市指定有形文化財)
  • 鐘楼(市指定有形文化財)
  • 庭園(市指定史跡)
  • 元谷保村の常夜燈

本堂

現在の本堂は、文化元(一八〇四)年に地元の大工佐伯源右衛門、北島安右衛門等によって建築されました。昭和五十六(一九八一)年に修理が行われた時、屋根は入母屋造りの萱葺から銅板葺に変えられました。禅宗の方丈型本堂として、当市における貴重な建造物です。本尊は釋迦如来座像です。(国立市教育委員会掲示より)

大悲殿

完成五(一七九三)年に、千丑(城山の東方向の地域)にあった藤井山圓成院の観音堂を移築したものです
屋根は宝形造りの銅板葺です。観音堂は、矢澤大堅がその師実山道伝より贈られた「十一面千手観音座像」(市指定有形文化財)を安置するため、享保三(一七一八)年に建立したものと伝えられています。
また、現在は壁面に移動されている天井画は相沢五流の手によるもので、二十八部衆を描いた壁画と共に、絵画としても優れており、大悲殿を一層貴重なものとしています。(国立市教育委員会掲示より)

総門

安永九(一七八〇)年に地元の大工佐伯源太によって建築されました。形式は薬医門、屋根は切妻造りで銅板葺です。前南禅総録司大川祟達の書による「谷保山」の扁額を掲げています。建立は、江戸後期における南養寺伽藍整備の一環を示す貴重なものです。(国立市教育委員会掲示より)

鐘楼

天明八(一七八八)年の建立で、屋根は入母屋造りで銅板葺です。関東大震災による被害の復旧が行われた大正十四(一九二五)年に、萱葺からトタン屋根に変えられ、さらに、昭和五十六(一九八一)年の修理時、現在の銅板葺になりました。
梵鐘は、安永六(一七七七)年、谷保鋳物三家(関・森窪・矢澤)の関氏によって鋳造されたものです。(国立市教育委員会掲示より)

庭園

本堂の北面にある約一〇〇〇平方メートルの庭園で、生垣をもって背景を区切り、西側に築山を設け、植栽を主としています。禅宗の自然観を表すといわれる枯山水様式です。作庭年代は、天保七(一八三六)年から天保十(一八三九)年頃と推測されます。(国立市教育委員会掲示より)

元谷保村の常夜燈

常夜燈は「秋葉燈」とも呼ばれ、江戸時代に村を火の事故から守るために、油屋近くに建てられたものです。火伏せの神を祀る秋葉神社(浜松市)への信仰です。
この常夜燈は市内に残る三つの常夜燈のうちの一つで、竿(塔身)には、「秋葉大権現」「寛政六甲寅年四月 上谷保村」「天満宮」「榛名大権現」と彫られ、寛政六(一七九四)年に建てられたことがわかります。
元々は上谷保村の油屋(屋号・現在の甲州街道北側の原田家)の東隣に建てられたもので、昭和六(一九三一)年から行われた道路改修時に現在地に移されました。
大正時代までは、村人が順番に毎日夕方、灯りを灯していたと伝えられています。(国立市教育委員会掲示より)

南養寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿