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人見稲荷神社|府中市若松町の神社

人見稲荷神社の概要

人見稲荷神社は府中市若松町にある稲荷神社です。人見稲荷神社は、寛喜3年(1232)武蔵左衛門尉資頼が三所之宮を造営、武蔵国造兄武比命を祀っていたことから六所宮客来三所之神と称されたといいます。慶長2年(1597)稲荷社等を合祀し、稲荷社と改称、社領十石を賜ったといいます。

人見稲荷神社
人見稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命、天下春命、瀬織津比咩命
相殿 -
境内社 祓戸神社
住所 府中市若松町5-7-6
祭日 -
備考 旧村社



人見稲荷神社の由緒

人見稲荷神社は、寛喜3年(1232)武蔵左衛門尉資頼が三所之宮を造営、武蔵国造兄武比命を祀っていたことから六所宮客来三所之神と称されたといいます。慶長2年(1597)稲荷社等を合祀し、稲荷社と改称、社領十石を賜ったといいます。

新編武蔵風土記稿による人見稲荷神社の由緒

(人見村)稲荷社
年貢地、村の北にあり。二間四方の覆屋を設く。村内幸福寺の持(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による人見稲荷神社の由緒

御祭神は倉稲魂命、天下春命、瀬織津比咩命三柱にして武蔵国造兄武比命の祀られし社なりと傳ふ。
昭和五十六年十一月三日未明、不慮の火災に依り焼失、氏子中恐懼協力し再建す。(境内石碑より)

北多摩神社誌による人見稲荷神社の由緒

武蔵国造兄武比命の祀られた社であり、六所宮客来三所之神と称される。寛喜三年武蔵左衛門尉資頼神殿奉行として三所之宮を造営され、日の丘の巽の方に屋敷を建て代々神事に盡した。正慶二年癸酉五月八日北条高時と新田義貞と合戦の当日兵火に罹り三社共に亡た。その後武藤資頼より四代頼次の代に至り正平八年(文和癸巳二年)二月十九日新田義宗と足利尊氏は人見原の戦いに義宗人見原の戦いに義宗人見山(浅間山)に陣を張り頼次家屋敷悉く類盡され旧記失う。頼次戦死後天正八庚辰年織田信長の臣山城入道道庵再興し社殿を造営した。慶長二年三社を合祀し、稲荷社と称した。正五位を給り、又境内社領十石を賜る。天正十八年四月八王子城主北條氏陣を張り村落再び焼失した。又正平の合戦より前暦応元年後醍醐帝の七宮を供奉し、結城入道道忠は奥羽下向の折参詣あったと伝わる。寛文七年稲荷神社正面の額は久世大和守の書であると伝われるが現存しない。拝殿は元冶二年の造営である。(北多摩神社誌より)


人見稲荷神社の周辺図


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参考資料
  • 新編武蔵風土記稿