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谷保天満宮|国立市谷保の神社、旧府社

谷保天満宮の概要

谷保天満宮は、国立市谷保にある神社です。谷保天満宮は、右大臣菅原道真公の太宰府左遷に伴い、第三子菅原道武卿は当地に配流、菅原道真公が廷喜3年(903)薨去に際して尊像を刻み天神島(府中市本宿)に創祀、京都北野天満宮が造営された天暦元年(947)には官社に列したといいます。菅原道武卿の裔孫津戸三郎為守が養和元年(1181)当地に遷座、江戸時代には社領13石5斗の御朱印状を受領、明治18年府社に列格したといいます。

谷保天満宮
谷保天満宮の概要
社号 天満宮
祭神 菅原道真公、菅原道武公
相殿 -
境内社 第六天神社、稲荷神社、神明社
住所 国立市谷保5208
祭日 例大祭9月23-25日
備考 旧府社



谷保天満宮の由緒

谷保天満宮は、右大臣菅原道真公の太宰府左遷に伴い、第三子菅原道武卿は当地に配流、菅原道真公が廷喜3年(903)薨去に際して尊像を刻み天神島(府中市本宿)に創祀、京都北野天満宮が造営された天暦元年(947)には官社に列したといいます。菅原道武卿の裔孫津戸三郎為守が養和元年(1181)当地に遷座、江戸時代には社領13石5斗の御朱印状を受領、明治18年府社に列格したといいます。

北多摩神社青年会掲示による谷保天満宮の由緒

昌泰四年菅公太宰府に遷らせ給う所、第三子道朝臣この地に配流され給う、父君薨去の報に朝臣思慕の情に堪え給はず父君の尊容を刻み、天神島(現府中市本宿)に鎮座す。
養和元年十一月三日裔孫津戸三郎為守霊夢を蒙り現在の地に遷座す。天暦元年京都北野天満宮造営の折、勅使の下向ありて官社に列せられ、関左第一の天満宮と称せられ、明治十八年府社に列せられる。(北多摩神社青年会掲示より)

東京都神社名鑑による谷保天満宮の由緒

昌泰四年(九〇一)、右大臣菅原道真公太宰府へ左降のおり、第三子道武卿は谷保の里に配流せられ、廷喜三年(九〇三)父君薨去の報に、思慕の情より父君の尊容を刻み鎮座ましたのが起こりである。道武卿の裔孫津戸三郎為守は、霊夢をこうむり、旧来の地(現在地より約南約一キロ)より神殿を現在の地に遷し、太宰府に模して梅香山安楽寺を起こし、社務六院を置き祭祀を司った。(東京都神社名鑑より)

新編武蔵風土記稿による谷保天満宮の由緒

(上谷保村)天満宮
社地一町三段、村の東の方にあり、本社二間に三間、拝殿二間半に三間南向、御朱印社領十三石五斗を附せらる、神體木の坐像長二尺五寸許、束帶、社傳に菅神太宰府へ左遷の時、三男道武玉川の邊へ遷され、星霜を送らる、菅公薨じ玉ふを聞、泣哀の餘り此像を彫刻せられしといふ、道武當地の縣主貞盛と云るもとにありて、その女を妻として一子をまうけらる、これを菅原道英と號す、後孫津戸三郎爲守、僧法然に歸依して無常を感じ自殺せしと云、此社傳いふかしといへども、此邊津戸三郎の因みあることはたしかなるべし、本宿彌勒寺に津戸勘解由左衛門尉、菅原規嗣の古碑あるを観てしるべし、當社古へは本宿にありしが、後この地に遷せりとぞ、縁起には養和元年六月三日遷れりと云ふかし、今其舊地を天神島といふ、遷座のとき假屋を設けし處を假屋坂といへりとなん、例祭毎年正月廿二地、二月廿五日、七十五膳の供具あり、又八月廿四日より廿六日まで獅子舞及角力神楽等あり。
本地堂。三間四方拝殿の東にあり、十一面観音木像長二尺五寸ばかり、立身胎蔵に黄金物ありと云。
末社辨天社。小社、本社の北にあり。
神明熊野稲荷合殿。本社の後背にあり、小社。
稲荷淡島合殿。小社、本地堂の南にあり。
三郎殿社。小社、本社の南にあり、菅神の三男道武の社といふ、例祭十一月三日の夜新毅を供し、又七十五膳の供具あり、此日は此地に遷座ありし日とも、又は三郎薨去の日なりともいへり。
神寳天満宮額一面。背に建治元年乙亥六月乙丑廿六日書之、正三位藤原朝臣経朝とあり、社傳に後宇多帝勅定の扁額ありとは此事なり、別に水府の館より元禄三年納められし模刻あり、背に祈祷のため寄進するの由を記せり。
狛狗二疋。村上帝の寄附したまへるよしをいへど、詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)


谷保天満宮所蔵の文化財

  • 「天満宮」一面(国指定重要文化財)
  • 村上天皇寄進狛犬一対(国指定重要文化財)
  • 菅公御染筆寸法華経三巻
  • 源義経・弁慶・亀井六郎・伊勢三郎書写「大般若経」四巻
  • 谷保天満宮社叢(東京都指定天然記念物)
  • 水戸光圀公奉納扁額「天満宮」
  • 甲薬師伝伝教大師作出 血文
  • 阿弥陀如来伝法然上人作 獅子頭三基(市重宝)

谷保天満宮の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑