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真福寺|福生市熊川にある真言宗豊山派派寺院

真福寺の概要

真言宗豊山派派寺院の真福寺は、柚井山と号します。真福寺は、上恩方村松竹城主大石道俊が尊信する不動尊を本尊として、法印秀覺を開山として上恩方村松竹に創建、小田原北条氏の八王子城築城に従って移転したものの北條氏滅亡に伴い、寺も焼け落ちたといいます。時の住職法印覺圓は、当地の地頭田澤氏に頼り、慶長14年(1609)当地で寺を再建したといいます。

真福寺
真福寺の概要
山号 柚井山
院号 -
寺号 真福寺
住所 福生市熊川309
宗派 真言宗豊山派派
葬儀・墓地 -
備考 -



真福寺の縁起

真福寺は、上恩方村松竹城主大石道俊が尊信する不動尊を本尊として、法印秀覺を開山として上恩方村松竹に創建、小田原北条氏の八王子城築城に従って移転したものの北條氏滅亡に伴い、寺も焼け落ちたといいます。時の住職法印覺圓は、当地の地頭田澤氏に頼り、慶長14年(1609)当地で寺を再建したといいます。

新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起

(熊川村)真福寺
境内除地、一町二十歩、小名内出にあり、柚井山と號す、新義真言宗、當郡横澤村大悲願寺の末なり、本堂五間に八間、本尊不動木の坐像長二尺八寸、開山秀長僧都。
観音堂。三間に二間半、本尊如意輪観音、木の坐像長五寸許。(新編武蔵風土記稿より)

「西多摩郡村誌」による真福寺の縁起

大石道俊ハ南多摩郡上恩方村ノ内、舊稱柚井郷松竹村松竹ノ城主ナリ。該寺創立ノ初ノ地ハ同地ニアリ。大石氏僧覺鑁作ノ不動ヲ尊信シ壹宇ノ佛刹ヲ創シ、本尊トナシ、法印秀覺ヲ延テ開山ト爲ス。大永年間、大石源左衛門尉憲重、郡中瀧山村ニ築城移居ス。寺モマタ同地ニ轉從ス。爾後、大石氏北條左京太夫氏康ノ男ヲ女婿ト爲シ、家を襲名シム。之ヲ柚井源蔵氏ト稱シ、後、陸奥守ト稱ス。天正年間、氏輝再ヒ郡中八王子神護寺ニ築キ築城ノ後、寺モ更ニ同地ニ移リタリ。當時住職ハ法印覺圓ト稱ス。北條氏信仰ノ餘リ多摩郡修験ノ惣轄タラシム。天正十八年庚寅六月、八王子落城ノ後、寺モ共ニ廃絶ス。後、覺圓坊本村ニ来リ、地頭田澤氏ニ依リ壹宇ノ草堂ヲ建立シ守護スル所ノ覺鑁作ノ不動ヲ安シ、寺名ヲ再興シ、且、悲願寺住職源鏡ニ依リ、京師ニ登リ、三寶院ノ宮ノ令旨ヲ受領シ、再ヒ修験ノ惣轄ニ任セラル。實ニ慶長十四年己酉月ナリ。爾後、興廃舊復及ヒ世代ノ所傳ヲ失ス。(「西多摩郡村誌」より)


真福寺所蔵の文化財

  • 田沢氏の墓一基附家臣の墓二基(福生市指定文化財)
  • 如意輪観音坐像一躯(福生市指定文化財)

田沢氏の墓一基附家臣の墓二基

旗本田沢氏は、天正十八年(一五九〇)に熊川村(内出地域)二四六石四斗を加封され地頭となり、以後、明治維新を迎えるまで領地した。
現在の石塔は寛政四年(一七九二)に家臣嶋田左右平師往によって再建されたもので、総高一・三メートルの方柱状石塔一基が、南面して建てられている。また、ならんで家臣の墓二基も建立されている。
真福寺に葬られたのは、田沢七右衛門正忠とその室、久左衛門正久とその室、そして、久治郎、大学、姓名不詳の者一人、合わせて七人である。
近世、旗本領の支配者である地頭の墓が、その領地に存することは稀であり、福生市における近世の遺跡として貴重である。(福生市教育委員会掲示より)

如意輪観音坐像一躯

如意輪観音坐像は江戸時代の作品と考えられる。寄木造りで玉眼、漆箔されている。木寄せの詳細は不明である。像底は一面麻布で布貼りされており、前方部に台座に固定するための径九・七センチの丸柄が取付けられている。宝冠、胸飾りは金銅製である。
高髷を結い、宝冠を付けて頭をやや左に傾け、伏し目がちの表情を見せる。手は左右三本づつ計六本のいわゆる一面六臂の姿で、右足を立て膝ふうにして蓮華座上に坐ず、通例の如意輪観世音である。
像は、体部に比べ頭部が長大な感じを与えるが、如意輪観音の複雑な姿形を破綻なくまとめている。衣も体に沿ってうねるような起伏を見せ、衣紋もこれに同調して自然な襞を形作っている。江戸時代の専門仏師の技量の程がうかがえる優品である。(福生市教育委員会掲示より)

真福寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「西多摩郡村誌」