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松本神社|羽村市羽西の神社

松本神社の概要

松本神社は、羽村市羽西にある神社です。松本神社は、河津祐康の臣某が建久年間(1190-1199)伊豆下田から移住、その子孫が稲荷社を創建したといいます。明治2年(1869)松本神社と改称、大正3年(1914)に櫛御毛奴命、大物主神を合祀したといいます。

松本神社
松本神社の概要
社号 松本神社
祭神 豊受媛命、櫛御毛奴命、大物主神
相殿 -
境内社 -
住所 羽村市羽西3-7-1
祭日 例祭日4月第二日曜日、9月29日
備考 -



松本神社の由緒

松本神社は、河津祐康の臣某が建久年間(1190-1199)伊豆下田から移住、その子孫が稲荷社を創建したといいます。明治2年(1869)松本神社と改称、大正3年(1914)に櫛御毛奴命、大物主神を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による松本神社の由緒

(羽村)稲荷社
除地、四段二十一歩、覆屋二間四方なり、村の西にあり、山本修験宮本院持。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による松本神社の由緒

年代不詳。建久年間(一一九〇ー九九)河津祐康の臣某が伊豆下田より来たり、本村内小作多摩川畔に農桑の業を常み、村落をなしたという。本村内に下田の姓が多く、その創建にかかるという。もと穂作稲荷大明神、熊野三山大権現等と称した。明治二年松本神社と改称。現本殿、覆屋は天保年中(一八三〇ー四四)造営。大正天皇御大典を記念し、大正五年三月拝殿を造営、今上天皇御成婚を記念し、石鳥居を建立。(東京都神社名鑑より)


松本神社所蔵の文化財

  • 松本神社本殿(市指定有形文化財)
  • 尾張家御鷹場境石杭(拓本)

松本神社本殿

本殿は一間社流造で板葺。鎌倉時代の建久年間(1190-1199)に伊豆下田より移住した人の子孫が山城国紀伊郡の稲荷社(現在の伏見稲荷)から分社して創建したものと伝えられています。祭神は豊受媛命、大正3年(1914)に櫛御毛奴命、大物主神を合祀しました。
江戸時代には稲荷社と呼ばれていましたが、明治2年(1869)社号を松本神社と改称しました。
平成三年の調査で棟札、木割帳、絵様下絵などが発見され、その内容から本殿は天保7〜11年(1836〜40)宮大工小林藤馬(播磨)の再建とされ、江戸時代後期建築の特徴をとどめています。市内では五ノ神社本殿、稲荷神社本殿、玉川神社本殿、一峰院鐘楼門などが小林藤馬の手掛けたものです。(羽村市教育委員会掲示より)

尾張家御鷹場境石杭(拓本)

御鷹場とは、将軍や大名が鷹狩りをする場所である。よく飼い馴らした高を空中に放して、飛んでいる鳥を捕えさせる狩猟方法をするが、江戸時代には実用の域を離れて、ただ武士の身体のたんれんを兼ねた遊猟となっている。
寛永十年(一六三三年)。北は川越(埼玉県近く)の村々から、南は小金井、国分寺、東は引又(志木市)、西は羽村に到る広い地域が尾張家の御鷹場に指定された。その境域は、ほぼ二十キロメートル四方に及び、その範囲は「尾張家御鷹場」と記した八十三本の境石杭によって示されている。
羽村には四本の境石杭があり、ここにある石杭はおざく村にあった二十三号杭で、拓本を写真を参考に現地に原寸で復元したものである。(羽村町教育委員会・羽村町郷土研究会掲示より)

松本神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑