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円通寺|清瀬市下宿にある真言宗豊山派寺院

円通寺の概要

真言宗豊山派寺院の円通寺は、清水山と号します。円通寺は、暦応3年(1340年)に創建、新田義貞の弟新田義助が鎌倉の松ヶ岡から持ち帰った観音像を所蔵とするといい、本尊の「駒止めの観音」、長屋門と共に清瀬市文化財に指定されています。

円通寺
円通寺の概要
山号 清水山
院号 -
寺号 円通寺
住所 清瀬市下宿2-521
本尊 聖観世音菩薩立像
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



円通寺の縁起

円通寺は、暦応3年(1340年)に創建、新田義貞の弟新田義助が鎌倉の松ヶ岡から持ち帰った観音像を所蔵とするといいます。

新編武蔵風土記稿による円通寺の縁起

(清戸下宿)円通寺
除地、一段五畝、小名岡にあり、真言宗新義、同郡成木村安楽寺の末山なり、清水山と號す、本堂八間に六間南向、本尊観音木の立像にて長二尺、行基菩薩の作と云、古へ新田義助奥州下向のとき、此観音の像を相州鎌倉松ヶ岡より此地に移す、往古は當寺の前に堂ありて安置す、いつの頃か當寺に移し今は本尊とせしなり。此像松ヶ岡より移せしによりて、此あたりを小名に岡と云り、此像霊佛にして古観音堂に安せし比、其前を乗うちするものあれば必落馬す、故に當寺に移すと云、當寺は暦應三年創造せりと、開山詳ならず、中興開山應永三十二年巳三月十日に寂せり。
鐘楼。九尺四方なり、本堂の前にあり、鐘は享保五年に鋳造せしものなり。(新編武蔵風土記稿より)

清瀬市掲示による円通寺の縁起

清瀬10景 円通寺
清水山円通寺は、南北朝時代の暦応3年(1340年)に建てられたといわれている清瀬では最も古いお寺で、長屋門、観世音菩薩立像の本尊と前立は、それぞれ市の有形文化財に指定されています。
この円通寺の観世音菩薩立像は、新田義貞の弟新田義助が奥州下向の途中、鎌倉の松ヶ岡から移したものといわれ、それ以来、馬に乗ったままここを通ろうとすると必ず落馬したことから別名「駒止観音」とも呼ばれていました。また円通寺に通じる観音坂は、この観世音菩薩立像に由来するといわれています。(清瀬市掲示より)


円通寺所蔵の文化財

  • 観世音菩薩立像(前立)木像像高48cm(市指定有形文化財)
  • 観世音菩薩立像(寄木造漆箔一部彩色像高70cm)(市指定有形文化財)
  • 円通寺長屋門(市指定有形文化財)

観世音菩薩立像(前立)木像像高48cm

御本尊の御前立として安置されています。小立像ですがゆたかな微笑みをたたえた顔面、均衡のとれた全身ともに親しみやすく、念持仏として誕生したものと思われます。
南北朝動乱の際、新田義貞の弟新田義助(脇谷義助)が鎌倉松ヶ岡から守り本尊として奉持して来たものとの伝えがあります。製作年代は不明ですが、緊張した鋭い線をみせる造像から、室町期よりさかのぼるものと思われます。(清瀬市教育委員会掲示より)

観世音菩薩立像(寄木造漆箔一部彩色像高70cm)

この観世音菩薩像は聖観音ともいわれ、下半身の安定のよい、ひきしまった姿をしており、室町時代の様式を色濃く残しています。
この仏像の胎内から三枚の棟札が発見されました。一枚は正保五年(一六四六ー江戸時代初期)のもので仏師孫右衛門の名が記され、一枚は同じ時に書かれたものらしく村人と思われる名前が記されています。
もう一枚は嘉永二年(一八四九ー幕末期)のもので、仏師内田竹次郎が再建したと書かれています。
観音仏は現実のあらゆる災難や苦しみを救済する仏さまとして民衆の厚い信仰を受けましたが、特に円通寺の聖観音は馬を持っている人の信仰を集め、縁日には多くの馬が厄除けに集まり「駒止めの観音」としてにぎわいました。(清瀬市教育委員会掲示より)

円通寺長屋門

もとはかやぶきでしたが戦後瓦葺になおしました。
武蔵野平野部の長屋門は比較的小さいのですが、この長屋門は規模も大きく、柳瀬川・滝の城を背に、清瀬古道に沿って建っている白壁・板腰は目の姿はあくまで端正です。大扉の閂やくぐり戸のおさえ等に昔の工夫がしのばれ、基本的な使用目的が守られています。
円通寺の記録に「長屋門天保十五甲辰年十一月二十五日上棟再建」(一八四四年拾食宥傳の代)とあり、手直しはされていますが、この時建てられたものが今に伝えられているものと考えられます。(清瀬市教育委員会掲示より)

円通寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿


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