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金龍寺|調布市西つつじヶ丘にある曹洞宗系単立寺院

金龍寺の概要

曹洞宗系単立の金龍寺は、大雲山と号します。建永元年(1206)明庵千光国師栄西禅師により開基されたと伝えられます。文禄3年(1594)世田谷勝光院六世乾晨寺三世岳応守英大和尚が曹洞宗寺院として(中興)開山、慶安2年(1649)には寺領13石4斗の朱印状を拝領しています。

金龍寺
金龍寺の概要
山号 大雲山
院号 -
寺号 金龍寺
本尊 釈迦牟尼仏
住所 調布市西つつじヶ丘2-14-1
宗派 曹洞宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



金龍寺の縁起

金龍寺は、建永元年(1206)明庵千光国師栄西禅師により開基されたと伝えられます。文禄3年(1594)世田谷勝光院六世乾晨寺三世岳応守英大和尚が曹洞宗寺院として(中興)開山、慶安2年(1649)には寺領13石4斗の朱印状を拝領しています。

新編武蔵風土記稿による金龍寺の縁起

金龍寺
(金子村)本村にあり。深谷山と称す。洞門の禅宗、当郡山入村乾晨寺末、慶安2年御朱印13石4斗の寺領を附せらる。本堂6間に8間半。本尊釈迦木の坐像。長1尺2寸許、左右に文殊普賢を安す。開山岳應守英正保元年2月22日寂す、荏原郡世田谷村勝光院第6世なり。過去帳には開基明庵千光国師、建保3年7月5日示寂と見えたれども其事歴を失ひたればとて、今岳應を以て開山とすと云。今按に千光国師名は栄西とて、洛陽建仁寺の始祖なり。禅林に於て著名の僧なり。其事歴「元享釋記」その余の禅録にも歴々たり。然るにこの人当国へ飛錫の聞なく、又かかる小寺を起立すべしともおもはれず、寺僧の事歴を失ひたちなと云は、その賎陋笑ふに堪へたり。
白山妙理大権現社。小社、門の東にあり。
十王堂。当寺の庭にあり。2間四方、堂下に名像の十王及び佛体14体。何れも坐像なり。其内銘ある者あり。小林氏道西禅人為2世銘石以造立尊也とみえたり。堂に安する十王も古物なり。元来は本山にありしが、何れも比かこの境内に移しとぞ。今なを十王堂路と呼ぶ所あり。又この堂下石像の中に、三途老婆の像もありしが、昔年何人か奪ひ去しといふ。其像今江戸四谷の笹寺(笹寺長善寺)にありといへり。
五本松。一幹五股の松。故にこの名あり。今その一股枯たり。囲凡2丈5尺、本堂の背後に在。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による金龍寺の縁起

建永元年(1206)明庵千光国師栄西禅師(中国・宋より茶の種子を持ち帰り、京都宇治の里に広めた僧としても有名な学僧)により開基された当山は、初め金子弁財天社内に安置、南光坊と称する堂宇であった。治承の頃、源義経弁慶以下を従えてこの地に来た。梶原景時の讒訴により奥羽落託の途次である。この時、一行は弁財天に休し前途の恙なきを祈り、義経巴下斎戒して池水を以て大般若四十五軸を書写した。のちにその池を写経の池と称し、山号を写経山と称した。
文禄3年世田谷勝光院六世乾晨寺三世岳応守英大和尚により曹洞宗となった。往時、寺の裏に五本松と呼んだ大老松があり、鴻が巣籠りをしていたが、慶安2年徳川三代将軍家光が狩猟の途次、その光景を見て奇とし、当寺に休憩して「深谷山」の号を附し、またその歓待に朱印を寄せた。当時のままの朱塗り山門が残存している。
また境内にある閻魔十王の石像は、源頼朝の祈願によるもので、現在も十王街道(川越から鎌倉街道に出る拠点)の名称が残っている。寛文5年再建の時、山号を大雲山と改め、諸堂宇尽く現在地に移った。
星霜七百余年を経、機を得、昭和46年旧堂を廃し、境内池水共々新装し、以て檀信徒帰依の根本道場となした。(境内掲示より)


金龍寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿