常性寺|調布市国領町にある真言宗豊山派寺院

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医王山常性寺|調布七福神の布袋尊、関東八十八ヶ所、多摩八十八ヶ所

常性寺の概要

真言宗豊山派寺院の常性寺は、医王山長楽院と号します。常性寺の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に多摩川沿いに創建したと伝えられています。慶長年間に旧甲州街道沿いの当地へ移転、祐仙法印が成田山新勝寺より成田不動尊を勧請し中興したといい、調布不動尊と称されています。関東八十八ヶ所69番、多摩八十八ヶ所6番札所、調布七福神の布袋尊となっています。

常性寺
常性寺の概要
山号 医王山
院号 長楽院
寺号 常性寺
本尊 薬師如来像
住所 調布市国領町1-2-8
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 常性寺会堂
備考 調布不動尊



常性寺の縁起

常性寺の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に多摩川沿いに創建したと伝えられています。慶長年間に旧甲州街道沿いの当地へ移転、祐仙法印が成田山新勝寺より成田不動尊を勧請し中興したといい、調布不動尊と称されています。関東八十八ヶ所69番、多摩八十八ヶ所6番札所、は調布七福神の布袋尊となっています。

新編武蔵風土記稿による常性寺の縁起

(国領宿)常照寺
境内除3段5畝8歩、街道の北側にあり。医王山と号す。新義真言宗、都筑郡王禅寺村王禅寺末、本堂は6間半に5間、本尊大日立身の木像長3尺ばかり。開山開基詳ならず。
薬師堂。除地、2畝4歩、3間四方、境内にあり。
第六天社(註:現国領神社)。小社、当宿の鎮守なり。除地の内北方にあり、本堂を距ること凡2町。(新編武蔵風土記稿より)

「調布市百年史」による常性寺の縁起

常性寺(国領)
医王山常性寺と号し、新義真言宗豊山派。
<本尊>薬師如来(金銅製、長さ二尺八寸)
開山・開基は明らかでないが、古くは多摩川辺にあったと推定されており、その名も、初めは常正寺と称したが正保年間(一六四四~四八)に、常性寺と改名されたと伝えられる。
本堂は、参道の正面にあり六間半に五間、改修を加えられ古い姿はない。
<薬師堂>
方三間赤塗り、堂内正面の壇上に古色豊かな厨子が安置されている。この堂は由緒あるもので、その建立は文化(一八〇四~一八)のころ、一名虎薬師とも呼ばれて秘仏とされていた。高さ一尺一寸の木彫の像があり、鎌倉時代の作と推定されている。
<不動尊堂>
現在のものは明治八年改築、方三間、向拝付の堂である。安置されている不動尊像は、成田の分身といわれる。
この寺の薬師および不動尊は里人のみでなく近在の人々に深く信仰され、とくに毎月二八日の不動尊縁日は古くから続き、露天の店も出てにぎやかであった。(「調布市百年史」より)


常性寺所蔵の文化財

  • 小橋馬頭観音塔(調布市郷土資料)

小橋馬頭観音塔

馬頭観音は六観音の一つで、破邪顕正、人々の煩悩を断つなどの功徳をもつ仏とされるが、頭上に馬頭をいただくことから、民間では馬の守護神として江戸時代中期以降広く信仰されるようになった。
馬頭観音塔は、念仏供養、道供養として建立されるが、馬の供養のため建てられることが多い。この塔は、甲州街道の小橋(現馬橋から西50m)の「すてば」にあったものを、甲州街道の拡幅で再度にわたり移動し現在地に安置された。(すてばとは、馬などの埋葬地である)
この塔は、文政7年(1824)市域および近隣の十九か村のほか、八王子の嶌(縞)買中などが協力して造立したものである。
馬頭観音の像を彫った供養塔は市内でも珍しく、また商人を含む多数の村民が造立したことも知られる貴重な像塔である。(調布市教育委員会掲示より)


常性寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿