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布多天神社|調布市調布ヶ丘の神社

布多天神社の概要

布多天神社は、調布市調布ヶ丘にある神社です。布多天神社の創建年代は不詳ですが、延喜式神明帳所載武蔵国多摩郡八座の内の一座で、西暦900年より以前には既に創建されていたとされます。明治時代には郷社に列格していました。

布多天神社
布多天神社の概要
社号 布多天神社
祭神 少彦名命・菅原道真公
相殿 -
境内社 大鳥神社、金刀比羅神社、祓戸神社、御嶽神社、厳島神社、稲荷神社、疱瘡神社
住所 調布市調布ヶ丘1-8-1
祭日 例大祭9月25日
備考 延喜式神明帳所載武蔵国多摩郡八座の内の一座



布多天神社の由緒

布多天神社の創建年代は不詳ですが、延喜式神明帳所載武蔵国多摩郡八座の内の一座で、西暦900年より以前には既に創建されていたとされます。明治時代には郷社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による布多天神社の由緒

(上布田宿)布多天神社
社地除、6段9畝20歩。上宿の北裏にあり。此神社は当郡の古社にて、延喜式神名帳に多摩郡布多天神社あり、相傳ふ祭神少彦名命なりと。古は村内今の古天神と云へる所にありしに、文明の頃多摩川関崩るによりて、今の地へ遷せり。其のとき初て菅神の像を配祀す。故に今の神体は菅神の木像にて、長1尺許なり。縁起ありて承応2年の撰述のよしをいへど、記す処妄誕にして、その頃のものともみえず。但其の中調布の濫觴をいへることみえたり。是又さだかなりがたき説といへども、姑く其略をつんでここにのすと云。桓武天皇延暦18年、木綿の実始めて渡りしなれど、いまだ布に製することをしらず。其時多摩川邊に菅家の所縁にて、近国に名を顕はせし広福長者といへるものあり。天神の社へ七昼夜参籠して、不思議に神の告を蒙り、布を製するの術を得て、多摩川にさらして、これをととのへて奉りぬ。是乃本朝木綿の初なりとかや。帝御感浅からず。即ち其布を調布とのたまへり。それより此邊武州調布の里といへり。後に広福長者の末孫菅原を修して、原永法となのり、この処にありしに、後菅神の肖像を造立して、布多天神に配祀せり。永法後に発心して、永法坊と改め、草庵を結て両社の守りをなし、年月を送ける所に、永延年中に院号を下されて、広福山常行院永法寺と号し、別当となしたまひしといふ。此社傳と口碑に傳ふる所と、年代合はず。されど今より考ふるによしなし、必ずあやまりあるべし。社地の外免田3段1畝9歩。免畑1段23歩あり。当社は上下布田・小島分・国領・上給・矢ヶ崎等の村々鎮守にて、例祭年々9月25日。その外名月25日月並の祭礼あり。本社2間に4間。拝殿4間に2間、石の鳥居あり。鳥居の西邊に制札をたてり。これは太閤秀吉のあたへしものにて、其文左のごとし。(中略)
末社。
金比羅社、本社の西にあり。
稲荷社、金比羅社の傍にあり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による布多天神社の由緒

第六十代醍醐天皇の延長五年(九二七)につくられた書物である『延喜式神名帳』に記されている多摩郡でも有数の古社である。もと多摩川畔の古天神というところにあったが、文明年間(一四六九~八七)洪水を避けて現在地に遷座された。その時菅原道真公を配祀したと伝えている。また往古広福長者という人が当社に七日七夜参籠して神のお告げをうけ、布を多摩川にさらし調えて朝廷に献った。これが本朝における木綿のはじめという。帝はこの布を調布と名づけられ、以来このあたりを調布の里とよぶようになったといわれる。(東京都神社名鑑より)

境内掲示による布多天神社の由緒

当神社は延喜式神明帳[第六十代醍醐天皇の延長5年(927)につくられた書物]にも記されている。多摩郡でも有数の古社である。もと多摩川畔の布天神というところにあったが文明(1469-87)年間多摩川の洪水を避けて、現在地に遷座された。そのとき祭神少彦名命に菅原道真公を配祀したと伝えている。
また往古広福長者という人が、当社に七月七日参詣して神のお告げをうけ、布を多摩川にさらし調えて、朝廷に献った。これが本朝における木綿の初めという。帝この布を調布と名づけられ以来、この辺りを調布の里とよぶようになったといわれる。
ちなみに本殿宝永3年(1706)覆殿昭和40年幣殿拝殿向拝は昭和60年の造営にかかる。(社殿約170方米)
七月二十五日の例祭日には奉納神楽があり、境内は市がたち参拝者で賑わう。末社に大鳥神社、金刀比羅神社、祓戸神社、御嶽神社、厳島神社、稲荷神社、疱瘡神社がある。(境内掲示より)

調布市掲示による布多天神社の由緒

布多天神社は、延長5年(927)の「延喜式神名帳」に載る古社で、式内多摩八座の一つです。境内で開かれる市の繁栄と商売繁盛を祈願して、氏子と商人が寛永8年(1796)に狛犬を建設しました。このことは、約200年前から、すでに天神の市が開かれていたことを示すものです。今も毎月25日に市がたちます。太閤秀吉の制札と狛犬は市指定文化財になっています。(調布市掲示より)


布多天神社所蔵の文化財

  • 布田天神社本殿一棟、附棟札一枚(調布市指定有形文化財)
  • 太閤の制札(調布市指定有形文化財)
  • 布多天神社狛犬(調布市指定有形文化財)

布田天神社本殿一棟、附棟札一枚

本殿は覆屋内にあり、外から見ることはできないが、ー間社流造で、桁行一間、梁間一間の身舎の前に向拝の付く小社である。向碑の柱頭に象鼻や獅子頭を飾る。軒は二軒、本繁垂木。屋根はこけら葺きである。
当本殿は、小社ながら装飾等に江戸時代中期の特色が見られ、社蔵する宝永3年(1706)の棟札から、建立年代が明らかであることも貴重である。(調布市教育委員会掲示より)

太閤の制札

布田天神社所蔵の制札は、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻略したおり、当地方の人心を安堵させるため天正18年(1590)4月、郷中に下したものである。
近世以前には布田の地名を補陀と書いたことなどがわかり、本市域における近世以前の唯一の制札として貴重な資料である。
大きさは縦39cm、横68cm、厚さ1.5cmで、材質はけやきである。
禁制 武蔵国多東郡補陀郷
1.軍勢甲乙人等濫妨狼藉之事
1.放火之事
1.対地下人百姓非分之儀申懸事
右、条々堅令停止乞若於違犯輩者速可被処厳科者也
天正18年4月日 御朱印(調布市教育委員会掲示より)


布多天神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑